飛鳥資料館は飛鳥地域の出土品を保管・展示する施設として昭和50年(1975)に開館。飛鳥資料館の庭園は無料開放されており、飛鳥時代のものとされる須弥山石なども保存されている。
酒船石遺跡の亀形石槽・船形石槽(復元品)。飛鳥時代に王権に関わる重要な祭祀施設と考えられている遺構が、2020年に復元されて展示されている。奥にある塔は須弥山石の復元品。須弥山石についは後述。
酒船石、車石、出水酒船石(復元品)の全貌。
庭園の施設の一部という説や、油を造った装置という説など諸説ある酒船石。
酒船石の南10mのところで出土した石造物「車石」。酒船石が庭園の装置とすると、こちらは流れとなるのだろう。
大正時代に飛鳥京跡苑池遺跡から出土された出水酒船石の復元品。こちらは1991年の発掘調査で、庭園の流水装置であったと結論づけられている。ちなみに本物の出水酒船石は京都にある国指定重要文化財「野村別邸 碧雲荘」にあり、年に1回程度見学会を実施しているようだ。
飛鳥資料館の室内に出土した須弥山石の実物が展示している。実際は4段だったようだが、実物は下から2段目が見つかっていない。ちなみに飛鳥資料館の庭園にある復元品は4段になっている。
須弥山の解説。古庭園を巡ると数多く出合う須弥山のルーツである。解説によると、須弥山石は庭園に置かれた噴水装置とみられるとのこと。高い場所から水を流すことにより、石にある小さな穴から水が噴き出す仕掛けになっている。作庭者は明らかになっておらず、私の所感であるが日本庭園の技術者として記録に残る最古の人物・路子工(みちのこたくみ)によるものではなかろうか。
ちなみに須弥山とは仏教における世界の中心にそびえる聖なる山(Syumeru シュメール)であり、高さは57万6千kmとされている。まるでドラゴンボールのカリン塔だ(笑)。須弥山の周りは海であり、その周りに人間が住む大陸がある。これを模倣した須弥山石が噴水装置になっているのは、須弥山の周りにある海を想定したものではないかと私は考える。なお本イラストはAIによって作成。
須弥山石が出土された場所をジオラマでみてみる。甘樫丘(あまがしのおか)と飛鳥寺の間にある飛鳥水落遺跡にある。
飛鳥水落遺跡と、古代の水時計(漏刻)があった場所に須弥山石が立てられていた。その北側にある石神遺跡跡には石人像もある。
飛鳥資料館には石人像の出土品もあるが、噴水装置であることが分かるように庭園にある復元品を撮影。ちなみに「日本の10大庭園 著:重森千靑」によると、須弥山石や石人像のようなデザインをもつ石は、そのあと発展することはなかったのは、日本人の感性に合わなかったと論じている。確かにその気持ちは分かり、その後、庭園での須弥山は石を彫るようなことはせず、自然石を立てることで須弥山と見立てることにしている。
○ | 日本庭園のルーツである飛鳥時代の須弥山石を見学できる。またジオラマで当時の様子が分かりやすく解説されているのが嬉しい。 |
× | 特に見当たらない。 |