忍路環状列石
おしょろかんじょうれっせき
約3,500年前の縄文時代後期の遺跡。日本で初めて学会で報告されたストーンサークルであり昭和36年に国指定史跡に登録。
環状列石の目的は集団墓地という説が有力であり、生活の場と儀式の場を区別したものと言われている。もちろん3,500年前に庭園という文化は存在していないが、「石を立てる」て、「石に奉る」というのは日本庭園のルーツともいえる。重森千靑著「日本の10大庭園」にも「自然の石がもたらす永続性のイメージは、日本人のなかに今も引き継がれている。その表現のひとつが日本庭園なのである」と語られている。このような考えから庭園ガイドでは環状列石も紹介している。
雑草が伸びており環状列石の存在が弱まっているのがやや残念なところだ。
高さ1mほどの石が円形に並べられ、中央には石柱が残存している。
特に中央の立石は、日本庭園の遠山石や滝石にもなるような形状をしている。
大正時代に皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の行啓に備えて修復されているようで、当時のままの形状ではないとのことであるが、3,500年前の遺跡が今も残されていることにロマンを感じる。
○ | 円を描くように立石が建ち並び中央には見事な中心石。 |
× | 雑草により石の存在感が弱まってしまっている。 |