阿知(現・倉敷市)の総鎮守となる神社が阿智神社である。日本書紀応神記(4世紀)によると、機織りを伝えた渡来人・阿知使主(あちのおみ)の一族がこの地に住み、庭園の元となったといわれる盤座(いわくら)や磐境(いわさかい)が作られる。
石に神が宿り信仰対象となった石のことを盤座(いわくら)と呼ぶ。また日本庭園の原型ともいわれ、そのルーツが阿智神社でみられる。古墳時代の4世紀に作られたといわれ、盤座に注連縄を巻かれていることが多い。他には西芳寺(京都)でもみられる。
盤座を西側から眺めるとこのようになっている。右側の巨石が先ほどの盤座である。複数の石があるため、案内板を参考に次の写真で解説してみる。
右手のブロックが鶴石組であり、Aが盤座である。また鶴の羽を表しており羽石ともなる。左側のブロックが亀石組となり、Bが亀頭石、Cが亀甲石となる。これが日本初の鶴石組と亀石組であり、かなり抽象的で説明を受けなければ気づかないだろう。
先ほどの羽石を兼ねた盤座を眺める。1600年前からこの地にあった石であり、植栽とは違い庭園における石は永遠であることが改めて分かる。
盤座を裏から眺める。左手が盤座で、右手は亀頭石となる。
亀頭石を正面から眺める、その裏手は本殿となる。こちらにも注連縄が巻かれているため、盤座と考えるのだろう。
境内の東に移動すると、いくつもの注連縄を確認できる。奥には注連縄を巻かれた盤座がみえるだろうか。
アップで写してみると、日本国民の総氏神ともされる女神・天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)と記されている。天照大神を祀る神社を全国各地にあり、総本社は伊勢神宮の内宮である。阿智神社はそのうちのひとつとなり、この盤座は天照皇大神の信仰対象となる。
天照皇大神を祀った盤座を横から眺める。案内板によると盤座の左側が盤境となる。盤境とは聖域の結界を表すものであり、神社の玉垣に相当するものである。玉垣:神社の周囲に巡らせた石の柵。
本殿北側の崖地には藤棚と枯滝石組がみられるが、説明がないと枯滝石組とは気づかない。こちらは後世に作られたものだろう。
枯滝石組の上部には三尊石が組まれ、滝口を表現しているようにもみえる。
境内には倉敷を見下ろせる休憩所がある。
阿智神社の案内図。右上の「斎館」とは、阿智神社に繋がる参道の入口から50mほど上ったところにあるが、うっかりこちらの取材を忘れてしまった。残念・・・ [ 案内図を拡大する ]
○ | 日本庭園における亀石組と鶴石組のルーツとなる盤座を眺められる。 |
× | 特に見あたらない。 |