旧赤穂城庭園 本丸庭園
きゅうあこうじょうていえん ほんまるていえん
豊臣秀吉と縁のあった浅野長直によって江戸初期に築城された赤穂城の本丸庭園。本丸庭園と二之丸庭園は赤穂家の家臣であった近藤正純と、近藤の師匠であった儒学者の山鹿素行とともに作庭された。その後赤穂城は廃城するが、平成になって発掘調査と復元工事行われ、平成28年(2016)に一般公開された。平成14年には国指定名勝を受ける。
古庭園が残る場所のひとつして城跡があげられ、赤穂城趾も本丸と二之丸に庭園が復元されている。まずは天守台から本丸庭園を見下ろすと、四方に広がりをみせる池泉回遊式庭園であることがわかる。
池泉には力強さと穏やかさを兼ね備えた中島を配している。
池泉南部にも中島を設けつつ、護岸石組で陸続きのようにみせている
先ほどの中島と天守閣を望む。
表御殿の跡地から本丸庭園を望む。湾曲した池泉であるが、手前が直線になっていることから建物に平行して池泉が作られていたことが分かる。
本丸庭園で興味深いのが文頭でも触れた中島である。手前は岩島を置いて力強さをみせているが、奥側は離島のような佇まいだ。
別角度から中島を眺めると亀島のようにも見えてくるが、文献には亀島という表記はみつからない。
また別の角度から撮影。案内版によると元禄期(江戸初期)には御殿に隣接して築山を背景として方形の大池泉があり、中島内に蘇鉄や松が植えられ八ッ橋が架かっていたとのこと。つまり作庭当初は、現在のような曲線を描くような池泉ではなかった。別文献で調べると、浅野家、永井家を経て、森家の時代(江戸後期)に現在の姿に改修されたとのこと。
2つめの中島は、護岸石組が連続していることから出島のようにも見える。
大池泉の水は3ヶ所から注がれ循環するようになっている。
本丸庭園 案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 見る角度によって大きく変化をみせる中島が魅力的。また天守台から庭園全体を見下ろせるのも有り難い。 |
× | 特に見当たらない。 |