飛鳥京跡苑池遺跡は、大正時代に出水酒船石など石造物が出土した場所を平成11年(1999)に調査して、確認された飛鳥時代の宮廷付属の庭園(宮廷庭園)遺跡である。調査終了後、遺構保護のため埋め戻され、2025年時点ではその姿はパネル展示などでしか見学できない。飛鳥の宮廷庭園は、斉明天皇(655〜661年)の頃に造られたと推測され、天武天皇(673~686年)の頃に改修されたと考えられている。また本庭園は日本書紀では「白錦後苑(しらにしきのみその)」にあたると考えられている。
飛鳥川の右岸には天武天皇、持統天皇など複数の天皇の宮殿が置かれていた。その宮殿の西部に隣接していたので宮殿の庭園であり国指定名勝「飛鳥京跡苑池遺跡」とされている。調査の結果、南池は天皇が公的・私的に利用した庭園と考えられている。また渡堤(わたりづつみ)を挟んで北側は北池とされ、祈りの場として使われていたとされている。
飛鳥京跡苑池遺跡の解説。発掘調査により本庭園は日本書紀での「白錦後苑(しらにしきのみその)」にあたると考えれるようになったとのこと。
飛鳥京跡苑池のイメージ。ちなみに苑池とは庭園のことである。イメージを見ていただけると分かるが、池泉や中島の護岸石組は石積みされており、平安時代以降にみられる護岸石組とは異なっている。
大正時代に発掘された出水酒船石の模型。水を流して光景を楽しむ仕掛けのひとつであり、南池の南岸に造られていた。
大正時代に発掘された出水酒船石。ちなみに本物の出水酒船石は京都にある国指定重要文化財「野村別邸 碧雲荘」にあり、年に1回程度見学会を実施しているようだ。
発掘調査時の南池。手前が中島、その奥に先ほどの出水酒船石がある。
飛鳥資料館には、飛鳥京苑池の予想ジオラマがある。飛鳥資料館を訪問してから飛鳥京跡苑池遺跡を訪問することを強くおすすめする。
南池の出水酒船石。なお記事作成にあたっては奈良県立橿原考古学研究所の公式YouTube飛鳥京跡苑池の発掘~20年の調査成果~を参考にしています。
○ | 休憩室に飛鳥京跡苑池遺跡のパネル展示があり、理解を深めるのに役立つ。 |
× | 埋め戻されていることが公式サイトなどに、あまり明記されておらず、知らずに訪問するとガッカリする。 |