大宝寺
たいほうじ
大宝寺は安土桃山時代(1582)に創建した臨済宗妙心寺派の寺院である。江戸時代に中興して寺名が「大宝寺」となった。庭園は江戸中期(1716-1735)に作庭されたと推測されている。
奈良井宿といえば長野県を代表する観光名所のひとつ。その奈良井宿のメイン街道から50mほど離れたところに江戸時代中期の庭園が潜んでいる。まずは本堂から額縁庭園を撮影。
パンフレットによると本庭園は「嵯峨流(さが)の庭園」と紹介されている。「嵯峨流の庭園」とは、京都の観光地・嵯峨にある天龍寺を開山(初代住職)し、庭園の作庭者でもある夢窓疎石(むろうそせき)を師匠として、天龍寺 曹源池庭園を模範した庭園である。また「嵯峨流庭古法秘伝之書」という古書があり、この流儀に沿った庭園ということなのだろう。
池泉には亀島を配して石橋を渡している。斜面には天を突くような立石があり蓬莱山に見立てた蓬莱石だろうか。蓬莱山:不老不死の妙薬があるとされる伝説上の山
滝石組の上部(赤マーカー部)には遠山石(えんざんせき)を据えている。遠山を抽象的に表現して奥行き感を与える役石であるが、植栽により隠れてしまっているのが残念だ。
薄くて華奢な様子が美しい石橋。
山畔の地形を活かした横長の池泉。
亀島に繋がる切石の石橋。
マリヤ地蔵尊が、大宝寺のもうひとつの見どころとなっているようだ。キリシタン禁制の江戸時代に、役人に見つかり破壊されたものだ。マリヤ様は子供を抱きかかえており、近づいて撮影すると。。。
十字架が残っていることから、キリスト教の信仰対象であったことが分かる。
○ | 江戸時代に宿場町として発展した奈良井宿が造られた時期から残る池泉庭園を眺められる。 |
× | 植栽により滝石組や遠山石が一部隠れてしまっているのが残念。 |