臨済宗大本山天龍寺の塔頭(たっちゅう)寺院である宝厳院は、室町時代(1461)に天龍寺の初代住職・夢窓疎石(むそうそうせき)の孫にあたる聖仲永光が開山。創建時は上京区にあったが、応仁の乱で焼失し、その後いくつかの地を移転して、平成14年(2002)に現在地に移転。また本地は近江商人・外村宇兵衛が購入し、同じく近江出身の作庭家・山村家によって庭園が明治44年に造られる。山村家は祖を勝元 鈍穴とする鈍穴流(どんけつ)の庭園とよばれる。
春・秋のみ一般公開される宝厳院は、天龍寺敷地にある塔頭寺院である。パンフレットには「獅子吼の庭」は室町時代に作庭されたと記載されているが、これは現在地に移転される前に作庭された時代のことであり、現在地に残されている庭園は明治時代に作庭された祖を勝元 鈍穴とする鈍穴流の庭園である。
奥にある立石を中心とた石組は三尊石である。解説によると、先を競って丸い石で表現された「苦海」を渡り、釈迦如来を見立てた「三尊石」のもとに説法を拝聴しに行く獣「獣石群」を表している。苦海と陸の間にある石が「獣石群」である。
苦海には「舟石」が据えられている。苦海を渡りきれない人のために舟を配している。細やかな演出である。
こちらは天龍寺 曹源池庭園にもみられる龍門瀑(りゅうもんばく)と鯉魚石(りぎょせき)である。解説を繰り返すと、鯉魚石は、滝を登る鯉を表現しており、もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのを「龍門瀑」と呼ぶ。
龍門瀑と鯉魚石をズームアップ。斜めに据えられた石が鯉魚石である。
白砂敷きの空間に、苔むした巨石が鎮座する。
さきほどの空間を引いて撮影。こちらの枯山水は広くない空間であるが、巨石の存在により力強さと迫力を感じさせる。
本堂と庭園を眺める。よく見ると、本堂の柱が石の上で支えられている。庭園に流れる大堰川は桂川の支流だ。
苑路を進むと行く手を阻むかように現れるのが碧岩(みどりいわ)である。碧岩は龍安寺の山手から産出してきたものであり、2億年前の海底に堆積した微生物などが水圧で圧縮されてできた「岩石」とのこと。
碧岩越しに庭園を眺める。かなり硬度が高い岩石であり、艶やかでありながら気品がある。
大堰川沿いの苔も美しい。
獅子の顔をしているところから、獅子岩と呼ばれる。執筆時に気づいたが反対からみると獅子の顔にみえるらしい。その写真がないのが残念である。宝厳院は紅葉の名所でもあるので、モミジが色づいたシーズンにまた訪れて確認してみたいものだ。
最後に座禅石。これほど美しく苔むした座禅石はそうそうないだろう。柔らくふかふかで座禅してみたくなる。
○ | 獅子岩や碧岩など圧倒的な巨石が鎮座する日本庭園。紅葉で有名な庭園でもあるが、同時に名石の庭園でもある。 |
× | 受付近くの苦海のある枯山水を予備知識なしで巡ると、歴史の浅そうな庭園に感じてしまう。平成に移転していて、真新しい丸石や龍門瀑の造りなどが、そう感じさせてしまうのだろうか。 |