法然院は鎌倉時代に法然が弟子の住蓮(じゅうれん)と安楽が草庵で修行していたことに始まる。後に後鳥羽上皇の女房が、安楽・住蓮を慕って出家する事件が起こり、法然は流罪、弟子は死罪となり道場は荒廃。江戸初期に再興。方丈庭園は春と秋のみ特別公開されている。昭和28年(1953)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となる。
春と秋に1週間ずつ特別公開される法然院。ちなみに特別公開は伽藍から眺める方丈庭園などであるため、こちらの写真の山門や盛り砂(白砂壇)などは通年無料で見学できる。
法然院のアイコン的な意匠でもある白砂壇(びゃくさだん)。水を表す砂壇の間を通ることで、心身を清めて浄域に入ることを意味しているとのこと。
白砂壇。
特別公開の平日朝9時頃に訪問。伽藍公開は9時30分からのため観光客は1~2名と、ゆっくりと撮影を楽しめた。
方丈の移築後に作庭されたと考えられる方丈庭園であるが、作庭時期は不明となっているが、再興されたのが江戸初期であることや、長い江戸時代の間に庭園が作庭されなかったとも考えにくいので、江戸時代のものであると私は推測している。
池泉は心字池であり、手前の岸から橋を中島へと渡る意匠は極楽往生を表しているとされいる。
喜気山と方丈の間に方丈庭園を設け、出島の向こう側の池の中ほどに、喜気山から湧き出る泉があり「喜気水」と呼ばれている。出島の中央には三尊石を配している。
沓脱石からの飛石と砌(みぎり)がクロスする意匠が美しい。砌とは屋根から滴った雨が砂利に吸収され、庭が綺麗に保たれる機能を持たせている。
椿が植えられている中庭「椿の庭」は、アメリカ出身の作庭家であるマーク・ピーター・キーンによる炭で川を表現した「空の川」という作品がある。
中庭にも池泉を設けている。
茶室「如意庵」。
中庭には亀島のような石組もみられる。
参道にはガラスアーティスト西中千人によるガラス枯山水「つながる」がある。
方丈庭園の湧き水「喜気水」にインスピレーションを得たのだろうか、水をガラスに見立て、永遠に枯れることのない湧水を枯山水として表現している。
| ○ | 池泉観賞式庭園や白砂壇だけではなく、外国人の作庭家による「空の川」、ガラスアーティストによるガラス枯山水など、伝統的な庭園の枠にとらわれない、新しい美意識を融合させた空間を生み出している。 |
| × | 特に見当たらない。 |