宝善院は平安時代(816)に弘法大師(空海)によって開山された高野山真言宗の塔頭寺院。元は「元丹生院」と称されていたが、昭和39年(1964)に宝善院と改名。重森三玲の調査では高野山最古の庭園とされ、また公式サイトでは小堀遠州によって作庭されたと伝えられている。
高野山に残る庭園の多くは宿坊が管理しており、宿泊者以外見学できないものが多いが、こちらは現地で一言掛けることで見学でき有り難い。それも小堀遠州によって作庭されたと伝わるもので、高野山最古の庭園である。ただ、知識無く見学すると、普通の池泉庭園に感じてしまうため図解していく。
宝善院庭園を図解。正面のひときわ目立つ立石が枯滝石組。その手間に池泉を設けているが、水色の部分以外は改修されており、やや単調なものになっている。おそらく伽藍の建築により池泉の形状を変えられており、その影響だと推測する。緑色の石組が亀石組。そして木に隠れて見えないが蓬莱山もある。取材時には鶴島の存在に気づかず、写真がない。鶴島の写真は茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録を参考にして欲しい。
枯滝石組はよく観察すると、二石で構成された力強いものである。
灯籠左に蓬莱山を設け、その手前に高さの低い石組で蓬莱島を作っている。
具象的な亀石組。右端の石が亀頭石である。日本庭園史大系では「中心石を傾斜させている」という解説があるが、現在では中心石を確認できない。
亀石組を別角度から撮影。
護岸石組と枯滝石組。ちなみに重森三玲によれば、「池泉に中島を設けず、奥に鶴亀二島を配するのは、江戸前期の特徴。これは枯山水の影響であれって、池泉を重要視しなくなったために生まれてきた様式」と説明している。
護岸石組と枯滝石組。
写真右手に鶴石組がある。次回、高野山を訪れる際に改めて観察してみたい。
○ | 二石組の枯滝石組、護岸石組が見応えある。また宿坊ながら庭園を一般公開しており素晴らしい。 |
× | 蓬莱山が木々で隠れてほぼ見えないのが残念。 |