常信寺は飛鳥時代(690)に建立した法相宗の神宮寺が起源とされている。平安時代に天台宗に改宗し、松山藩松平家初代藩主の松平定行が現在地に移転し、寺号が常信寺と改められた。境内の庭園は台北生まれの松山市育ちである日本庭園観賞会の会長・岩城有作によって昭和に作庭された。なお、一部情報元には「岩城亘太郎」と記載されていることもあるが、住職によれば誤りで、岩城有作と岩城亘太郎は親戚関係でもないとのこと。
一般公開されている庭園ではないが、事前に電話相談することで見学ができる常信寺庭園。書院の東側に枯山水を造っている。
本庭園は昭和に作庭されたものであるが、元は明治末期に建築された客殿に付随して造られた庭であるが、その後荒廃。その後、日本庭園観賞会の会長・岩城有作によって復元された。当時の文献を提供いただいたので、その文献によれば、岩城有作によると、「本庭園は松山藩全体の絵図を拡大して、造られた一大パノラマ庭園」とのこと。
またご住職の説明によれば、松山に出入りする舟に模した石を据えているとのこと。その舟石がこちらである。
石の上に砂や石が被さっているのが、残念ではあるが、確かに舟石だと分かる。石の向きからして松山城から離れている出舟石だろう。
出舟石のある場所から庭園を撮影。おそらく出島になっている部分が、松山城のある山を表現しているのだろうと思われる。
青石による多段の枯滝石組もあるが、上部が木々によって覆われてしまっている。
注意深く観察すると、枯滝石組に極めて小さな立石がみられる。これを鯉魚石(りぎょせき)と推測したくなるが、さすがに憶測が過ぎるだろう(笑)鯉魚石については、山口市の国指定名勝「常栄寺 雪舟庭」の記事を参考にして欲しい。
もう1点、注目したいポイントが見つかった。枯流れはコンクリートに石を並べた一般的なものであったが、水流を感じさせるような意匠になっている。中央に水が流れているようにみえるのが分かるだろうか。
このポイントから書院方向を撮影すると、このように水流が見事に表現されている。
当日はご家族総出で説明いただき、各種文献なども用意いただき大変お世話になりました。ありがとうございました。
| ○ | 枯流れの水流を表現したコンクリートの加工は他に例をみないもので見事である。 |
| × | 舟石の不要物の除去、枯滝石組の上部が見えるように周辺の草木の整理が望ましい。 |