環秀山荘
かんしゅうさんそう
環秀山荘は清の時代の1736~1795年に官僚の邸宅庭園であり、日本では江戸時代となる。その後1847年に庭園が修復され、環秀山荘と呼ばれるようになった。現在は刺繍研究所の敷地内にある。
上海から高速鉄道で30分(100km)ほどの距離にある蘇州は、東洋のベニスともいわれる庭園都市。世界遺産に登録された庭園が9つあるが、そのなかで最も敷地面積が狭いのが環秀山荘である。最大の魅力は、蘇州最大ともいわれる太湖石を積み上げて造られた巨大な築山だ。
ギザギザに曲がった石橋で築山へと苑路が作られているが、立ち入り禁止区域となっている。
奥の建物は過街楼と呼ばれ、漏窓 (ろうそう) と呼ばれる模様のある明かり取りの窓が美しい。
太湖石による築山と過街楼。太湖石(たいこせき)とは中国庭園で必ず見られる凹凸のある独特な石灰石である。
花瓶型の洞門(どうもん)がユニーク。洞門とは庭園と庭園を繋ぐ出入り口の役割であり、中国庭園では円形の洞門がよく見られる。
太湖石の築山は内部を回遊できるよう造られているが、立ち入りはできない。まるでひとつの山のようになっており、環秀山荘と名付けられたのも、この巨大な築山があるが故のものだろう。
環秀山荘の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 蘇州の世界遺産に登録された庭園で最も落ち着いた空間であり、太湖石を積み重ねた築山が立派。 |
× | 軽く眺めるだけであれば5分ほどで終わってしまうぐらいの規模感。 |