慶雲館は、明治天皇の京都行幸の際の休憩所として、わずか3ヶ月で1887年(明治20年)に建築。明治45年(1912)に、植木職人7代目・小川治兵衛(通称 植治)によって庭園が作庭される。昭和11年(1936)に長浜市に寄贈され、平成16年(2004)に通年一般公開される。平成18年(2006)には庭園が国指定名勝に指定された。
慶雲館の主庭となる南庭には、12月から3月末までは立ち入れない。慶雲館の庭園は庭園内を廻遊しないと、細部を確認できないため、この時期を避けて訪問することをお薦めします。ちなみに私は11月に訪問しています。
天を突くような鋭い立石。枯池には栗石を敷いているが、過去の写真と見比べると、令和前後に新たに敷かれたものだろう。また護岸石組は小振りな石であるが、力強い石を組み合わせており美しい。
慶雲館は二階建てになっており、二階からも庭園を見下ろせるのが特徴である。先ほど紹介したポイントを撮影してみると、巨大な石灯籠、その右手にも巨石を据えている。
天を突くような立石を中心にして望遠撮影。左側の青石は三尊石手法による枯滝石組である。この庭園を手がけた七代目・小川治兵衛(植治)は、ありのままの自然を活かす作風(いわゆる自然主義的な庭園)で知られている。そのような彼としては、異色の石組である。右手には枯流れに、3枚の切石による石橋を渡している。
二階から主庭の西部を撮影。築山を設け、枯池が東西に穿っている。
本庭で天を突く立石の次に眼が留まったのが、こちらも枯流れである。流れには平石を敷いているが、よく見ると水流を表現しているのだ。
写真では分かりにくいかもしれないが、平石が少しづつ重なるようになっていた。水流を表現した枯流れでは、京都の真如院にはさすがに及ばないが、それでも近くで観賞しないと分からないようなところにもこだわっていることに感動した。
先ほどの枯流れは小滝へと導かれ、枯池へ広がっていく。
その先はこのような広い枯池になっており、2本の切石橋を渡している。
有料で貸し切りができる慶雲館茶室。
1階和室からの額縁庭園。ちなみに内廊下を除き、ほぼ全ての部屋は貸し切りできるため、訪問日によっては、このような額縁庭園を撮影できないことがある。訪問前に電話確認するほうが良いだろう。
慶雲館は表門から中門までの前庭、中門から本館の玄関や、露地門までの玄関前庭、そしてこれまで紹介してきた南庭(本庭)で構成されている。写真は前庭であり、枯流れに飛石を横断させ、三尊石なども見られる。
中門の先に、玄関前庭と本館の玄関を望む。
慶雲館の案内図。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 自然主義庭園のパイオニアである七代目・小川治兵衛(植治)が、石組本位の伝統的な古庭園を見られる貴重な庭園である。 |
× | 特に見当たらない。 |