摩訶耶寺
まかやじ
奈良時代(726年)。ここより北東4kmにある富幕山(とんまくやま)に、僧侶の行基(ぎょうき)が新達寺として開山。平安時代に北東500mのところにある千頭峯(せんとうがみね)に真萱寺(まかやじ)と名を変えて移され、平安時代末期に今の場所へと移り摩訶耶寺となる。庭園は鎌倉時代前期の作庭されたと推測される。
年末に訪れるが、誰も拝観者がいなく静寂そのもの。住職不在で本堂の見学はできなかったが、庭園は賽銭箱に半額の200円納めることで見学できるようになっていた。まずは池泉庭園の全景を1枚。
石組みで険しい山々が表現され蓬莱の世界を表している。本堂の屋根の下辺りの3組の石が三尊石組である。三尊石組は平安時代に著された「作庭記」に記されており、平安様式を留めた庭園であることが分かる。(蓬莱:仙人が住むような俗界を離れた清浄なところ)
手前に蓬莱出島、その奥に三尊石組がみられる。
通常は開放されていない茶室から池泉庭園を楽しむ「池泉鑑賞式」。角のある立石により、力強さが表現されている技法は鎌倉的な要素である。
築山から庭園を見下ろす。
右から2番目の築山の中腹にある3組の石が三尊石組。護岸石組みや中島の石組みが、ほぼ完全に保存されており歴史を感じられる庭園である。
庭園中央部の略図。現地には詳細な説明が記されている。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 1300年の歴史を誇る日本庭園であり、また石組みを中心とした庭園のため、冬に訪れても庭園の魅力を感じられる。 |
× | 座視鑑賞式池泉庭をうたう庭園であるが、茶室は基本的には開放されていないのが残念なところ。 |