松尾神社庭園
まつおじんじゃていえん
松尾神社の創建は不詳であるが平安時代が始まりとも伝わる。当時この地には尊勝寺があり、庭園は桃山時代初期の作庭された尊勝寺の機構とも伝わり、旧尊勝寺庭園とも呼ばれる。しかし、一説では将軍をもてなすために作庭された庭園という話もある。これは室町幕府最後の征夷大将軍・足利義昭が近江の守護大名であった佐々木義賢(よしかた)を頼って近江に逃れた際に、将軍をもてなすために義賢が作庭したという推察があるからだ。詳しくは本文で解説。昭和46年(1971)に八日市市(現 東近江市)の文化財に登録。
JR八日市駅のすぐ近くに桃山時代初期の庭園が残る。南側に鶴島、北側に亀島を設けて二島は石橋で繋がれている。
鶴島の護岸石組は力強い。福井県に残る足利義昭をもてなす為に作庭された庭園である一乗谷朝倉氏遺跡の庭園と造形が似ていることから、松尾神社庭園も同様の経緯で作庭されたという説もある。
鶴島の頂部には三尊手法の羽石。
また鶴島には須弥山石組もみられる。
杉の木の左手が三尊手法の羽石、右手が須弥山石組となる。
亀島の裏手から亀島と鶴島を撮影。
亀島の護岸石組は鶴島と比べると低く抑えられている。
山畔に築かれた蓬莱連山石組も豪壮である。
武家書院好みの力強い石組を気軽に観賞できる松尾神社。鶴島、亀島、須弥山、蓬莢連山石組など石組好きであれば、ぜひとも訪問をお薦めしたい神社である。
○ | 鶴島の護岸石組、三尊手法の羽石、須弥山石組など力強い石組を間近で見られる。また福井県を代表する一乗谷朝倉氏遺跡の庭園と似ているなどから作庭経緯を推察している点も興味深い。 |
× | 特に見当たらない。 |