三田村氏は室町時代から続く越前和紙の製造、販売を行ってきた老舗。庭園は江戸初期に作庭され、現在の残る庭園は明治4年(1874)の写本とされる彩色鳥瞰図に描かれたものとほぼ同じであり、幕末の状態を継承している。平成27年(2015)に国指定名勝に登録。見学は3日前までの事前予約が必要である。
事前予約制の三田村氏庭園は標高326mの大徳山を借景とした池泉回遊式庭園である。中央に中島を配し、南北からそれぞれ石橋を渡している。右手前の池に向かって伸びた平石は礼拝石であり、庭園のビューポイントを表している。
北側の塀に沿って帯状に築山が造られ、斜面は集団石組で構成されている。写真左の巨石を用いた立石は景色の中心となる石、つまり守護石となる。
苔付いた中島を撮影。力強い護岸石組であり本庭園の見どころだ。江戸時代は幕府へ御用紙を納めることで繁栄をしてきたが、明治政府発足により経営難となり、庭園は明治以降は放置されたとのこと。結果的に江戸時代の庭園が維持されることになった。
中島を詳しく観察していく。
中島を図解するために写真にマーカーをいれてみた。この中島は鶴亀兼用の意匠となっており、中島の南部に置かれた山形の石は鶴の羽を模した「鶴羽石」。北部には池泉に飛び出た石が亀の頭を摸した「亀頭石」となっている。一見すると鶴羽石の左にある巨石の板石が亀頭石に見えてしまうが、別角度から撮影すると亀頭石であることが分かりやすい。
別角度から撮影すると、石橋を渡った右手に池に突き出した石が亀頭石となる。
鶴羽石と二石からなる石橋を撮影。石橋の奥には複数の立石を置いている。
池泉の周辺には飛石が打たれ、護岸から突き出た板石は礼拝石である。また左手にかつてあった書院から、幕府の要職が庭園を鑑賞したという記録が残っている。
記事前半で紹介した集団石組でひときわ目立つ守護石を正面に望み、その右手には遠山石らしき立石が意匠されている。余談であるが本庭園は複雑な形状をした石が多数あるため、写真では石の形状が判別しにくい。
先ほどの遠山石らしき立石は右手の小振りな立石であり、視点場によって手前の巨石の立石と一体化して大きな立石に見えるのは偶然だろうか。意図したものと私は推測する。
中島の北部に架かる弧を描いた石橋。石橋の奥には滝石組があるため撮影してみると、
このような滝石組となっている。茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録によると、左の長石はもともと立石だったようで崩れ落ちてしまっているとのこと。確かに不自然であり、明治4年の彩色鳥瞰図にも滝が描かれている。石を戻して雑草を除去した姿を眺めてみたい。
池泉南部は直線状の護岸であり後世に改変されたと思われる。池泉の一部が直線状になっている庭園は数多くあり、多くは建築物の造築により池を改変しているが、本庭園も彩色鳥瞰図には直線状の護岸に廊下があったような形跡を伺える。
○ | 名園が残る福井県でも見応えのある庭園のひとつ。鶴亀併用した中島、および築山の集団立石、そして借景の取り込みなど素晴らしい意匠である。 |
× | 滝石組の立石が崩れたままになっておりもたいない。 |