諸戸氏庭園は、元は江戸初期に桑名の商人・山田彦左衛門の屋敷であり、明治に同じく桑名の商人・諸戸清六の手に渡る。菖蒲園は山田彦左衛門の屋敷であった江戸時代、御殿のある池泉庭園は明治39年(1906)に作庭。平成15年(2003)より諸戸氏庭園として公開される。
毎年、春と秋に公開される諸戸氏庭園。2022年頃まで御殿や主屋の改修工事が行われているが、庭園拝見は問題なくできる。まずは、明治時代に作庭された御殿に隣接した池泉庭園から紹介。案内板によると、池泉は琵琶湖を模しているとのこと。
池泉の奥には枯流れに自然石の石橋が架けられている。この石橋は天橋立に見立てているとのこと。
池泉南部には、琵琶湖北部に位置する竹生島(ちくぶしま)に見立てた岩島を据えている。圧倒的存在感だ。
竹生島の奥を望遠レンズで撮影すると、渓谷のような雰囲気を醸し出している。
池泉北部には集団石組がみられる。御殿の池泉庭園で使われている石は全て青石であり、志摩や鳥羽から運ばさせたとのこと。
池泉は、水田を埋め立てたもので海抜0m以下となる。そのため、当時は干満の影響を受け、池の水位が上下し、変わりゆく景観を味わう汐入りの池となっていた。
池泉庭園の南東部には枯流れが造られ、左手は渓谷のような石組、右手奥には枯滝石組が造られいる。それぞれを紹介していこう。
渓谷のような石組は豪壮で優美な造りである。渓谷の奥に石橋がみえるが、これが記事の最初の方で紹介した天橋立に見立てた石橋である。
枯流れの上流には、立石を中心とした枯滝石組が造られている。
続いて、菖蒲池のある江戸時代に作庭された庭園へ移動する。県指定文化財の推敲亭の右脇には、織部灯籠がある。織部灯籠とは、キリシタン灯籠とも呼ばれ、竿にキリスト像が彫られているのが特徴である。これは江戸時代初期のキリスト教禁止令後も、密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物だった。
推敲亭から菖蒲池を眺めると、石灯籠が複数あるのに気づく。諸戸氏庭園は60以上の石灯籠があるのも特徴のひとつである。
菖蒲池庭園の東部には枯れ流れがあり、こちらにも織部灯籠がみつかる。
菖蒲池庭園の茶室に繋がる延段も見所であり、切石と霰こぼし(あられこぼし)の延段や、飛び石による延段など複数の延段が造られている。延段:石の通り道
菖蒲池には切石による八ッ橋が架けられている。やはり菖蒲が咲き乱れる6月に訪問するのがベストだろう。
○ | 御殿前の池泉庭園の石組が見物であり、特に天橋立に見立てた石橋は優美である。またガイドの知識も深く理解しやすい。 |
× | 御殿前の池泉に油分が浮いていた。工事の影響かもしれないが、池泉の浄化も期待したい。 |