名張藤堂家邸跡
なばりとうどうけていあと
名張藤堂家の初代当主は藤堂高吉(とうどうたかよし)で、織田信長の家臣だった丹羽長秀の三男。その後、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将・藤堂高虎(とうどうたかとら)の養子となる。現存する屋敷と庭園は、江戸時代(1710)以後に再建された屋敷の一部である。なお当初の屋敷は現存する屋敷の20倍以上の広さを誇っていた。
三重県指定史跡である名張藤堂家邸跡には、中奥と茶室「清閑楼」に囲まれたところに枯山水が造られている。
本庭には、深く堀り込んだ枯池があり、枯池の奥には石を積み上げた築山を設けている。
枯池には水が水落石から離れて落ちる「離れ落ちの形式」の枯滝石組が組まれているように私は推測する。枯滝石組が少々分かりにくいので、写真に水色のラインを引いて、水が流れている様子を図解した。池底には井筒型の井戸を設けている。
離れ落ち形式の枯滝石組と見立てた、枯滝石組の上部を横から撮影。ベロを出したような平石が突き出ている。
石積み築山の隣にも小さな築山があるが、周辺の木々によりに細部が分からないのが惜しい。
茶室「清閑楼」からの眺め。本庭は飛石も印象的で、庭園に奥行きを感じさせるように弧を描くように打たれている。
縦横無尽に打たれた飛石。
中奥から額縁庭園を撮影。中奥は公務を離れて私的な日常生活を送る場所として利用されていた。
茶室「清閑楼」の様子。
○ | 深く掘り込まれた枯池や、離れ落ち形式と思われる枯滝石組の意匠が素晴らしい。 |
× | 特に見当たらない。 |