南昌荘
なんしょうそう
南昌荘は、盛岡出身の実業家・瀬川安五郎が明治18年(1885)に邸宅として建築。大手マンション業者に買収危機にあったが、昭和62年に生協組合が共有財産として買い取り、平成12年(2000)より一般公開されるようになる。
盛岡市の庭園では、盛岡中央公民館にある旧南部氏別邸庭園と並ぶ知られたスポットである。広々とした中二階の「南昌の間」には、ソファイスが沢山あり寛げる空間になっている。
明治時代には芝庭の日本庭園が造られるようになり、こちらもその影響をうけたものである。池泉は東西にあり、2つは水路で繋がっている。
2つの池泉を繋ぐ水路には、アーチ状の小さな石橋が架けられ、石橋付近の護岸石組は小振りながらもしっかりとしている。
石橋越しに中二階の「南昌の間」を撮影。
東側の池泉を撮影。奥に石橋があり近づいて撮影すると
3つの切石で繋がり、支え石によって互い違いに連結されている。
西側の池泉。護岸石組は薄く特徴的な要素はみられなかった。
「松鶴の間」から額縁庭園を撮影。
「水月の間」から額縁庭園を撮影。南昌荘は額縁庭園を撮影できるポイントが多く、室内から十分に庭園を楽しめる施設である。
南昌荘の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 屋敷の4つの書院から庭園を楽しめ、それぞれにソファイスが用意されているため、観光での休憩スポットとしても利用価値が高い。 |
× | 紅葉時期以外だと庭園は単調さを感じさせる。木々でうっそうとしているところが多く、十分に庭園回遊を楽しめなかった。 |