平泉寺白山神社(白山平泉寺)の境内にある旧玄成院庭園。元々は白山平泉寺として奈良時代(717)に創建され、神仏混在であった。明治時代に神仏分離により寺院関係の建物は解体され、玄成院に残された庭園は「旧玄成院庭園」と呼ばれる。旧玄成院庭園は室町幕府の管領(将軍に次ぐ職位)細川高国によって室町後期に作庭されたと伝わる。昭和5年(1930)に国指定名勝を受ける。
白山平泉寺には多くの参拝客が向かうが、旧玄成院庭園に立ち寄る人は1割もいない感じであった。
苔が美しい庭園ことで知られ「福井の苔寺」とも呼ばれる国指定名勝庭園。檜で囲まれ直射日光が当たりにくく苔が育ちやすい環境なんだろう。築山の手前に枯池をもった枯山水であるが、近づけないため庭園の詳細が分かりにくい。そこで図解していこう。
旧玄成院庭園を図解すると、まず左手に枯滝石組。その右手に草木によって視界が遮られているが亀出島、右手に鶴出島の羽石が顔を覗かせている。そして築山には蓬莱石組を設けている。
望遠レンズで枯滝石組を撮影すると、品良い苔づいた立石で構成されている。
別角度から撮影すると立石は45度に傾斜されているが、その右手にある石灯籠も木で支えられていることからすると、地震などで傾いたと推測する。
図解した写真では亀出島は確認できなかったが、僅かに亀出島の石組を確認できるポジションを見つけた。
亀出島付近を図解すると、亀頭石が僅かに顔を覗かせており、その奥には出島と対岸に自然石による石橋を架けている。その右手は汀に変化を付けるかのように出島を造っている。このような枯池に汀に変化を付けているのは、本庭園を作庭したと伝わる細川高国が作庭した滋賀県の旧秀隣寺庭園にも共通している。
続いて鶴出島。この巨石は羽石とされ、その手前の横石は枯池の護岸石組である。
羽石を別角度から望遠レンズで撮影。力強い美しい石であるが、枯池に近づくことができないため肉眼では確認にしにくく残念だ。
築山の蓬莱石組。一番高い立石を中心に三尊石が組まれている。またこの立石を中心として、須弥山石組のようにもみえる。このように考えるのが、細川高国によって作庭された三重県津市の北畠氏館跡庭園の須弥山石組に似ているからである。
室町時代に作庭された旧玄成院庭園は、一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)と並ぶ福井県最古の庭園である。
○ | 福井の苔寺と称されるに相応しい美しい苔。そして望遠レンズ越しになるが、品良い石組で組まれた枯滝石組や羽石はよく観察したい。 |
× | 枯池に近づくことができないため、肉眼では詳細が確認できず、亀出島や石橋や枯池の形状などを観察できない。 |