応賀寺
おうがじ
応賀寺は奈良時代(724)に桓武天皇の勅願寺として行基によって開基された由緒ある高野山真言宗寺院。寺務所の前庭として平成14年(2002)に「光陰の庭」とい名付けた枯山水が、地元の造園会社・大三(だいぞう)の庭師・池谷大三郎によって作庭された。
行基によって開基された由緒ある寺院に、平成になって作庭された「光陰の庭」がある。作庭者によると「近景は水(露)、中景は光(黄昏)、遠景(青嵐)というテーマを持って七・五・三式の石組の「枯山水」と「回遊式庭園」という日本庭園の歴史的手法を取り入れ祈りの形を再構築しました」とのこと。
客殿から枯山水へは正方形の切石による飛石を交互に45度向きを変えて配置している。
飛石の先は緩やかな弧を描く延段で枯滝石組に誘われる。
枯滝石組。枯滝石組の反対側は洲浜となり、枯池は枯流れへとなっている。
別角度から枯滝石組を撮影すると、何段にも落とされた滝頂部には遠山石のような山形の石を置いている。
光陰の庭は七五三の石組であり、こちらは三尊石である。
こちらは7石になっている。
本庭園は「近景は水(露)、中景は光(黄昏)、遠景(青嵐)」とのことであり、おそらく近景として大海、中景として芝庭、遠景として枯滝石組となっているのだろう。
○ | 奇数は永続性を示す縁起の良い数字とされ、七五三石組を配置することで縁起の良い庭としている。 |
× | 枯滝石組にやや単調さを感じる。 |