臨済宗大徳寺の塔頭寺院である龍源院は室町時代(1502)に創建。4つの庭園がみられ、最古となる北庭は室町時代に足利将軍家に仕えた絵師でもある作庭家・相阿弥(そうあみ)によって作庭されたと伝わる。
4つの庭園が楽しめる龍源院。まずは方丈前庭「一枝坦(いっしだん)」。方丈前庭に山茶花「楊貴妃」が植樹されていたが、昭和55年(1980)に枯れたことのより当時の住職が枯山水を作庭。
鶴亀庭園となっており、左の苔島が亀島、右が鶴島、中央の三尊石が蓬莱山となる。鶴島が抽象的で分かりにくいのは通例だが、亀島も抽象的であるのが珍しい。
蓬莱三尊石は、立石と伏石が見事なバランスで構成されている。蓬莱山とは不老不死の妙薬があるとされる山のことである。
柔らかい石が使われている蓬莱三尊石と比較して、鶴島は鋭い立石で力強さを感じる。
室町時代に足利将軍家に仕えた絵師でもある作庭家・相阿弥(そうあみ)によって作庭されたと伝わる龍吟庭(りょうぎんてい)。こちらから眺めると「石組の線が分かる」と記載されていたが、石組が一筆書きの線のように連なっている。
苔は大海に見立て、中央の石組は抽象的な須弥山石組となり、主石を右に傾斜させた手法は古い時代の石組であることを表す。須弥山とは、古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つ山であり、要は仏が住する清らかな世界・極楽浄土の意味を強調した浄土式庭園といえる。
須弥山石組の手間にある伏石は遙拝石(ようはいせき)と解説されている。遙拝とは遠く隔たったところから拝むことであり、ここから須弥山を眺めることを意味しているのだろう。また、須弥山石組は枯滝石組を兼ねるともいわれ、そうすると遙拝石(ようはいせき)は、水分石を兼ねているともいえる。
須弥山石組の手前にある三尊石も、3つの石のバランスが優れた見事な石組である。
庭園西部にも三尊石が隠れている。
三尊石と須弥山石組の間に控えめな石組が、ほぼ一列に並んでいる。
方丈東側には「東滴壺(とうてきこ)」と呼ばれる4坪の枯山水がある。日本最小の庭園と表記されており、2・2・1の5石組である。
平石に水が滴り波紋となり、小川へとなり、やがて大海になる様を描く。
書院南庭「滹沱底(こだてい)」は「阿吽(あうん)の石庭」ともいわれる。昭代住職が住んだ中国河北の鎮州城南を流れる「滹沱河」から、その名が付いている。
龍源院の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 4つの庭、全てに特徴があり見応えある。特に枯滝石組を兼ねた須弥山が強く傾斜されることで、古庭園であることを感じさせてくれる。 |
× | 特に見当たらない。 |