静雅園
せいがえん
地元の医師・布施家の七代目が、江戸末期から明治初年にかけて京都の庭師を招いて築造し、九代目の頃に完成。昭和3年(1928)に鵜川小学校(現在廃校)が同地に移転した際に、村に寄附。昭和51年(1976)に市指定文化財・名勝を受ける。
常時開放されている庭園であるため、この日は朝6時30分に訪問。ここから撮影すると木々に覆われ庭園の存在が分からないぐらいである。過去の写真を確認すると、不定期に整備はされているようだが、訪問時は手入れ前でこのような状況だ。
近づいて撮影すると池泉がある。解説によると大小2つの池が石橋に接して「心」字となった心字池とのこと。また3つの築山の護岸石組には200個の石で組まれているとのこと。日本庭園には心字池が数多くあるが、実際に「心」を模っているところは希である。
池泉東部の小さい池を撮影。出島らしきところには、風変わりな石灯籠を据えている。
2つの池を繋ぐ石橋。植栽で周辺の石組がみえないが、ブログ「蕎麦喰らいの日記」で2010年に撮影した石橋を拝見すると、その様子がよく分かる。
植栽の奥に石組らしきものがみえる。先ほどのブログで確認すると滝石組のような造形がみられる。ちなみに柏崎剣野コミニュティ- 写真愛好会にて、1年前(2019年)の紅葉時期の写真が掲載されており、池泉を取り囲む護岸石組の様子がうかがえる。
亀石の様な岩島を見つけた。
○ | 植栽が手入れされておらず、詳細を把握できないため未評価。落葉となる紅葉時期か積雪後の春に訪問するのが良いだろうか。 |
× | 植栽が伸びきって庭園を観賞しにくい。日常的な手入れは厳しいと思われるので、手入れ予定日時期・実施時期をWebサイトで案内してはどうだろうか。 |