西岸寺
せいがんじ
西岸寺は鎌倉時代に鎌倉に建長寺を開山した臨済宗の僧・蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)によって開山された寺院である。ご住職によれば、境内の池泉庭園は当時から存在していたと伝えられている。つまり鎌倉時代に作庭されて庭園が残されていることになる。なお作庭家は不明であるが、「蘭溪道隆」のタグ付けをしておく。
参道両側には黒松の並木であり、江戸時代から続く参道となっている。
駐車場に面したところに池泉庭園が残されている。
池泉の形状は直線基調でシンプルであるが心字池として作庭されたとのこと。
住職に中島は亀島と呼ばれているかどうかを伺ったが、そのようには少なくとも現在では呼ばれていないとのこと。中島や護岸石組が丸みを帯びた石であるため江戸後期以降の作庭と推測したが、鎌倉時代のものと聞いて驚いた。後世に改修があった可能性も考えられ、風合いから当時のままの石組ではないと想像している。
池泉の西南部には小さな滝石組を設えている。
中島と滝石組。ちなみに長野県で鎌倉時代に作庭された庭園では特別名勝「光前寺庭園(駒ヶ根市)」 があるが、石組の風合いが明らかに異なる。
池泉を見下ろすように高い杉で囲まれているところに格式を感じる。
西岸寺には樹齢500年といわれるカヤの木がある。このカヤの木の地上2mの樹間から1本の杉の木が生えている。
分かりやすいようにカヤと杉の位置関係を写真に示した。この杉の木は15mを超えており、カヤの木がふところに抱きかかえているようにみえることから、「抱寿貴のカヤ(だきすぎのかや)」と呼ばれている。
○ | 蘭渓道隆が開山した寺院に、当時からの池泉庭園が残っている。その後、改修した可能性があるが、それでも貴重な庭園であることには違いない。 |
× | 特に見当たらない。 |