旧下田邸
きゅうしもだてい
旧下田邸は箕輪城主長野氏の重臣・下田大膳正勝の子孫で、江戸時代には代官をつとめた豪族下田氏の屋敷。庭園は赤穂浪士のひとりで、忠臣蔵で知られる堀部安兵衛によって江戸時代に作庭したと伝わる。昭和48年には県指定重要文化財に登録される。
高崎市箕郷支所の向かいにある旧下田邸には、江戸時代の書院と庭園が残されている。1枚目の写真で驚くのだが、アカマツ・ヤマモミジなどの巨木で敷地の内と外を分けているが、その巨木の大きさに歴史を感じる。
書院の南側に池泉庭園を造っており、城郭式庭園と呼ばれているようだが、本様式は旧下田邸書院及び庭園以外では聞いたことがない。解説によれば、城郭式は室町期から江戸元禄期までの間、好んで造られたものといわれている。
高崎市の解説によれば「城郭風に石垣を配した池」と記載されているが、草木が伸びており、特に石橋で渡された亀島(中島)の石組がほぼみえないのが残念である。
右側の岩島は「水鳥の形をした石」と説明されている。
苔庭には巨石を配置している。
四季折々の表情を持つ庭は「青翠園」、書院は青翠園書院と称され、豊臣秀吉の時代である桃山風の様式を残している。
苔付いた巨石と小石の二石組。奥にある石灯籠との組み合わせが美しい視点場から撮影。
○ | 邸宅が類を見ない巨木に囲まれていることで、青翠園は限られた敷地ながらも深い森に入ったような感覚を味わえる。 |
× | 城郭風に石垣を配した池が見どころだと思われるが、草木が伸びその様子を鑑賞できない。 |