室町末期(1528)に将軍・足利義晴のために、この地域の氏族である朽木宜綱(くつきし)によって館を建てた際に作庭された庭園である。足利庭園ともいわれる。朽木宜綱が亡き妻のために寺として秀隣寺と名付けたが、江戸時代に火災で焼失し、その後、朽木家の菩提寺である興聖寺(こうしょうじ)がこの地に移転。庭園は室町幕府の管領(将軍に次ぐ職位)であった細川高国によって秀隣寺に作庭されたものが残っている。
滋賀県を代表する庭園のひとつ旧秀隣寺庭園。将軍・足利義晴が作庭したとも伝えたれるため足利庭園とも呼ばれる。観光地から離れていることもあり、名園にして静けさを保っている。庭園は自由に出入りできる空間にあるが、社務所で拝観料を納めてから庭園を散策する。
まずは亀島。右の立石が亀頭石であり、左の立石が中心石となる。中心石とは、鶴島や亀島などの中心部に置かれる石であり、分かりやすい例としては鎌倉の建長寺がある。
亀島を別角度から撮影する。手前に池底と接地している石が亀尾石であり、その上に据えているのが、先ほどの中心石となる。
続いて旧秀隣寺庭園で注目すべきポイントである鶴島。
こちらを解説すると、このようになっている。まずはひときわ優美な羽石。両側に羽石がみえる。その奥には蓬莱山を兼ねた護岸石組となる蓬莱護岸がみられる。また羽石の間には亀脚石がある。亀? そうなのです。こちらは亀島を兼ねた鶴亀島なのです。
反対から眺めると、亀頭石がみられる。そして先ほどの左手にあった羽石はこちらからは亀脚石となる。
引き続き鶴島を別角度から撮影すると、羽石の豪壮な姿を魅せてくれます。
薄い石橋越しに鶴島を眺める。護岸石組にも力強さを感じられる。
鶴島、亀島、そして左手に2ヶ所の枯滝石組を眺める。曲水式の地割りであり、眺める方向によって表情が変わる庭園である。
手前の枯滝石組。
正面から撮影すると三尊石のように中央に滝石を据え、両側に滝添え石を組んでいる。その手前には鯉魚石を据えている。鯉魚石とは鯉の滝登りを見立て、登りきった鯉だけが竜になるという伝説。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのである。鯉魚石の分かりやすい例としては、山口市の常栄寺 雪舟庭がある。
もうひとつの枯滝石組。中央の立石は中尊石となる。
池泉へと繋がる遣り水。
最後に再び鶴島。羽石の裏側にもうひとつ羽石があるのが分かるだろうか。今にも池泉から飛び立ちそうな意匠に感動すら覚える。
○ | 池泉の複雑さ、鶴島の豪壮さ、護岸石組の力強さなどコンパクトながら優れた優美な意匠をもつ。 |
× | 特に見当たらない。 |