京都五山の第一位「天龍寺」は、後醍醐天皇を供養するために室町初期(1339年)に臨済宗として創建。開基(資金提供)は足利尊氏、開山(初代住職)は、日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓疎石(むそう そせき)である。夢窓疎石が堂舎を建て、池を整備したことは確かだが、作庭までの行った確証はない。出典「日本の10大庭園」著者:重森千靑(ちさを) 1994年、世界遺産に登録。
世界遺産「天龍寺」にある曹源池庭園。日本初の作庭家ともいわれる夢窓疎石(むろうそせき)が初代住職であり、庭園を語る上で外せない名園である。借景となる亀山は、後嵯峨天皇や亀山天皇が亡くなられたあとに火葬された聖地でもある。曹源池の由来は、夢窓疎石が池の整備時に「曹源一滴」と記された石碑が見つかったことから名付けられた。
天龍寺の魅力は、日本庭園最高峰の滝石組にある。戦前までは水が流れていたが、現在は枯れている。大方丈からは遠く、薄暗くほぼ肉眼では造形美を観賞するのは難しい。こちらの写真は望遠レンズ(焦点距離145mm)で撮影したのちに、滝石組が分かりやすいように画像を明るく調整している。
それでは、滝石組を説明していこう。まず、Aが鯉魚石(りぎょせき)である。鯉魚石とは、中国の鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」にちなんだ鯉を石に見立てたものである。天龍寺の鯉魚石は、鯉が滝を登り龍へと変化する瞬間を表現したきわめて珍しいものである。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのを「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼び、龍門瀑の始まりは本庭園である。Cは遠山石で、不老不死の仙人が住む蓬莱山も表している。Dは水を落とす石「水落石」であり、三石あることで「三段の滝」となる。Bは三枚の石橋であり、自然石で作られた橋としては日本最古の例である。青石が使われ、細く上品な造形である。Eは鶴の首のような島であり、写真では陸続きのように見えるが独立している。
龍門瀑の美しい姿を眺めるためには望遠レンズや双眼鏡などが必要である。
池東岸から龍門瀑を眺めると、鶴の首のような島(E)は独立した岩島であることが分かる。また岩島のなかで高くそびえる岩を池中立石と呼ぶ。
龍門瀑の南側を望む。護岸石は比較的控えめに組まれている。
少し視点を変えて龍門瀑を撮影。このように視点によって景が変化していくのも天龍寺の魅力でもある。
青石の石橋をクローズアップすると、2つの岩島に3枚の板石を渡した「継ぎ石橋」である。薄くて割れそうな華奢な板石が上質さを感じさせてくれる。また右手の大きな平石が、かつて水が流れ落ちていた水落石である。
曹源池庭園では出島にも注目したい。3つの出島があり、北側から眺めると特に美しさが際だつ。
もっとも小さい出島がこちら。出島の先には大きな石が添えているが、護岸壁は控えめな演出である。ここからみると、遠近効果で奥にある大きな出島がこちらと同じ大きさに見える。
大きな出島は、護岸壁にしっかりといた石が組まれていて、その先に岩島が配置されている。このような意匠は鎌倉後期の様式とされる。
南側の出島には松が添えられている。庭園研究家の重森千靑(ちさを)氏によると、すぐれた石組造形をもつとのことだが、松に隠れてしまい、かなり注意深く見ないと分からないとのこと。
曹源池庭園の南側には亀島が作られ、細い石橋が渡されている。
小方丈から曹源池庭園の額縁庭園を撮影。開門同時となる8時30分に訪問しているため、人が映り込まず撮影できた。このような額縁庭園を撮影するには300円の追加拝観料が必要となるが、視点も高くなりぜひお薦めしたい。
○ | 日本庭園史上最高峰の龍門瀑、細く華奢で上品な石橋、眺める角度によって景の変化と、庭園を理解する上で外せない要素が盛りだくさん。 |
× | 龍門瀑は遠く薄暗いため、双眼鏡を持参するか、望遠レンズ越しの撮影でないと造形を確認するのが難しい。 |