創建は平安時代で天台宗に属していた。江戸時代に中興され、現在は臨済宗大徳寺派の寺院である。庭園は江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州(こぼり えんしゅう)とされる。事前予約制の見学。
修学院離宮に隣接した禅華院は、事前に電話予約で堂内を拝観できる。(観光寺院でないため法事など優先。山門を括った先のエリアは予約不要で、生け垣越しから庭園を眺められる)私は修学院離宮の参観とあわせて、事前予約して訪問。
本堂の窓ガラスを開けていただき、まずは江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州が作庭したと伝えられる庭園を撮影。小堀遠州の庭園といえば、南禅寺の方丈庭園や金地院庭園が有名である。参考:小堀遠州によって作庭された庭園
築山と枯池で構成された枯山水。枯池には沢飛石を配置し、また枯池中央には出島を施している。沢飛石:池や川を渡るために設けられた飛石
写真右が出島になっており、2段の石で護岸石組を構成している。
中央には山形(山形県産の意味ではなく、山の形という意味)の遠山石(えんざんせき)を据えている。遠山石は、庭園内に借景として山を置き、奥行き感を出すために使われることが多い。当初、不老不死の仙人が住むとされる蓬莱山に見立てた蓬莱石を兼ねていると考えたが、住職によると鶴石組、亀石組はないとのことだった。すると、蓬莱石は長寿のシンボルとされる鶴石組、亀石組とセットで使われることが多いため、蓬莱石ではなさそうだ。話は変わるが、写真中央の石燈篭が主張しすぎているように感じる、おそらくのちに追加設置されたものと推測する。
遠山石の左右に枯滝石組らしき意匠が見える。また写真左手にみえる立石が、品格を感じさせてくれる。
住職の計らいで抹茶とお茶菓子を出して頂いた。ありがとうございます。
庭園中央の石燈篭都違い、基礎がなく竿を直接地面に埋め込む「生込み燈篭」は主張しすぎず、本庭園の景物として丁度よいサイズ感である。
○ | 複雑に入り組んだ枯池と築山の組み合わせが見事である。 |
× | 庭園中央の石燈篭が主張しすぎている。 |