北近江の戦国大名・浅井氏の家臣として仕えた赤田氏。小堀遠州が近江国小室藩の初代藩主のときに、庄屋(村役人)を努めるようになり、本庭園で小堀遠州が作庭を学んだとも伝わる。
長浜市役所経由で見学を申し込み。訪問時間に訪れると当主がお出迎えされ丁寧に解説して下さる。まずは書院からお菓子とお茶を頂きながら額縁庭園を撮影。
落葉時期にもかかわらず手入れが行き届いているのに驚く。周囲は樹木で囲まれつつ、築山には刈込みなどの植栽は最小限に抑え石組を美しく見せている。
池泉奥の築山に須弥山に見立てた立石を据えている。須弥山とは古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つ山であり、要は仏が住する清らかな世界・極楽浄土の意味を強調している。少し角度を変えて望遠撮影すると、、、
三尊石風に組まれており蓬莱山を兼ねており、かつては滝石組となり水が流れていたとのこと。また右手前の立石も鋭く力強く本庭園で最も美しい光景だと思う。
庭園の全景。護岸石組の手前は低くすることで奥行き感を出している。そして、蓬莱山があるということは、長寿を願った鶴と亀が隠れていることが多い。図解すると、、、
左が亀島で、右が鶴島になっている、当初は出島の先にある巨石が羽石に見立てた鶴石組と思ったが、当主によるとその手間の中島が鶴島になるとのこと。池泉には此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる「三途の川」があり、その先には閻魔大王に見立てた立石。多くの庭園を観てきたが閻魔大王というのは初めてだった。
具象的な亀島。
鶴島。鶴は抽象的で分かりにくいことが多いが、こちらも言われないと気づかない。
写真中央奥が閻魔大王に見立てた立石であり、右側には現在も水が流れている滝石組がある。
赤田氏庭園は、京都の西本願寺「虎渓の庭」や福田寺(米原市)と共通性があるとのことだが、まだ両庭園を見学していなかったためコメントができない。ただ民家に残された庭園としては保存状態も良く、貴重な庭園であることは間違いない。
○ | コンパクトな敷地ながら奥行き感と立体感のある力強い庭園である。また植栽も最小限としているのも良い。 |
× | 特に見当たらない。 |