蕪村寺(妙法寺)
ぶそんでら(みょうほうじ)
妙法寺は比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺院であり、奈良時代に行基菩薩がお堂を建立したことに始まる。安土桃山時代に現在地に移転。江戸後期に俳人画家・与謝蕪村が滞在して蘇鉄図を初めとする絵を残したことより蕪村寺とも呼ばれる。庭園「崩れ石の庭」は茶人としても知られる小堀遠州(こぼりえんしゅう)によるもので江戸時代に作庭された。
別名「蕪村寺」として親しまれる妙法寺に、小堀遠州によって作庭された庭園「崩れ石の庭」があることを知り訪問。なお駐車場を完備しているが、歩行者専用道路に面しているため道順が分かりにくい。事前に公式サイトで確認しておこう。
通常は書院からの見学のみであるが、住職の計らいで庭園内を案内いただいた。丸亀駅から徒歩5分の繁華街にあるため、周辺のビルが気になってしまうのは致し方ないところだろう。
与謝蕪村が訪問したときには、既に「崩れ石の庭」が存在していた。四国新聞によると、この石の妙なる庭の形に魅せられて創作意欲をかき立てられたと推測されている。
書院からは飛石で池泉に導かれている。蕪村が見ていた蘇鉄は枯れてしまっているが、いまでも同様の姿で蘇鉄(ソテツ)が茂っている。
蘇鉄のある築山の谷間に枯滝石組を作り、石組が小川に崩れ落ち散在しているような意匠から「崩れ石の庭」と呼ばれている。
小川の上流も「崩れ石の庭」を感じさせる造形。二叉に分かれて右手は枯滝石組。
そして、左手の小川の始点にも枯滝石組を作っている。
与謝蕪村は人生66年のうち30年間を旅で過ごしたと言われ、そのなかで3年を讃岐を訪問していた。そのとき、妙法寺で書き残した「蘇鉄図」がこちらでみられる。
再び写真に戻って書院から撮影。
○ | 小堀遠州によって作庭された庭園が四国で見学できる貴重な寺院。その遠州による「崩れ石の庭」に魅了されて描かれた「蘇鉄図」を同時に見られる物語があってよい。 |
× | 通常は園内に立ち入りができないため、枯滝石組の意匠が見られない。 |