豪農・原田巻家の離れ座敷である「椿寿荘」は、3年半をかけ大正7年(1918)に完成。その後、国の研修施設となり、昭和62年に田上町が購入し一般公開にいたる。庭園は京都の庭師・広瀬万次郎によって作庭された。
道の駅「庭園の郷 保内」から車で10分ほどの距離に、豪農・原田巻家の迎賓館として使われた椿寿荘がある。椿寿荘に入室するまず通されるのが、上段の間・二の間・三の間が開放された見事な額縁庭園に圧巻される。
畳廊下から主庭となる枯山水を眺める。この光景に3つの見立てが隠されている。私は解説を聞くまでは分からなかったが、次の写真で解説していこう。
主庭の枯山水を図解。奥に須弥山に見立てた五重塔がある。須弥山とは、古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つ山であり、要は仏が住する清らかな世界・極楽浄土の世界を意味している。そして飛石で水の流れを表現し、三尊石組は阿弥陀仏三尊に見立てている。
上段の間に設けられた書院窓からは、須弥山から水が流れる様子を切り取った額縁庭園を楽しめるように造られているとのこと。
三尊石組は阿弥陀如来を中心に、両側に観音菩薩と勢至菩薩(せいしぼさつ)に見立てている。
須弥山に見立てた五重塔。五重塔を須弥山に見立てたものは初めてみたが、調べてみると法隆寺五重塔の初重の四方に、須弥山を背景とした群像が配されていることから深い関係があるのだろうか。
水の流れに見立てた飛び石は、緩やかな弧を描くように配列されている。雨上がりということもあり、しっとりした水流に見えてくる。
庭園は散策できるようになっており、枯山水から書院を撮影。
奥の間、奥次の間あたりから庭園北部を撮影。庭園は椿寿荘を取り囲むように繋がっている。
さらに進むと中庭(泉水)を撮影。石橋付近の巨石の石組が印象的だ。
その巨石を苑路から撮影すると、左上に強い気勢をもっている。気勢とは、石の形や大きさのことで、石を見たときに感じる力の方向性のことである。
○ | 三間つづきの座敷からのパノラミックな枯山水に加えて、書院窓で切り取られた須弥山に見立てた五重塔と、水の流れに見立てた飛石が面白い。 |
× | 特に見当たらない。 |