大通寺は奈良時代(743)に開山された曹洞宗の寺院。鎌倉時代初期に後鳥羽院の勅願寺として現在地に移転。庭園は地元の作庭家であっる中西源兵衛によって江戸中期(1793)から21年かけて築庭された。平成13年に県指定名勝庭園となる。
庭園界の巨匠・重森三玲を生んだ岡山県には庭園が点在するが、知られざる名園として紹介したいのが大通寺庭園である。参拝受付をすると住職が庭園を詳しく解説してくれる。まずは高峰山を借景とした書院表の庭は池泉回遊式庭園から観賞していく。執筆時に気づくが右手の手水鉢はハート型になっている。
石組主体の庭園であることから、別名「石寿園(せきじゅえん)」とも呼ばれる。太鼓橋は結界の役割を果たし、手前が人間界の世界である此岸(しがん)、橋の先は悟りの世界である彼岸(ひがん)の景趣となっている。
書院表の庭を図解。まずは庭園の上部に築山を造り、三尊石須弥山石組を置き、ここから下部に向かって滝、流れを落としている。三尊石の下部は土留を兼ねた石組で、板状の石は鶴の羽を模した鶴羽石となっている。そして太鼓橋が架かる出島は亀出島だ。礼拝石は通常池泉の手前にあるが、こちらでは少し変わった場所に配置されているのが珍しい。
庭園に立ち入りは許されていないが、住職の計らいで特別に庭園内を廻遊させていただいた。これにより遠山石や蓬莱石組などを詳しく観賞でき、辺りは枯流れになっていることも分かった。
滝石組は布落式であり、その下部には石の反り橋を架けている。
築山上部は刈込みで囲まれることにより、借景との連続性を演出している。そして刈込み手前には三尊石須弥山石組。
三尊石須弥山石組を撮影。左手に流れがあり、おそらく高峰山からの湧き水を引き込んでいるのだろう。
築山から庭園を見下ろす。通常見学できない視点から撮影させていただいた住職の計らいに感謝である。
続いて衆寮の裏庭。先ほどの書院表の庭同様に椅子が用意されているので、年配者も楽に庭園観賞できる。
衆寮の裏庭では、石橋、土橋、そして書院表の庭からも確認できる三尊石須弥山石組を確認できる。重森三玲に従事した作庭家・斎藤忠一によると石橋は「鋭い橋」と表現している。その理由は反対から眺めると分かる。
反対から撮影すれるこのように先が細くなっているため「鋭い橋」と表現したのだろう。ただ通常は庭園に立ち入りできない。
続いて土橋。こちらも書院からだ望遠レンズでないと詳細は分かりにくいだろう。苔とタマリュウにより品格を感じさせる土橋である。
最後に客寮(本寺間)から三尊石を撮影。
大通寺庭園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 3つの書院から庭園を眺められ、これら3つの庭園がひとつの庭園として成り立っている。また古庭園の要素が多く、刈込みにより借景となる高峰山との連続性を生み出し雄大さを感じられる。 |
× | 特に見当たらない。 |