願泉寺は飛鳥時代(603)に、小野妹子の八男・多嘉麿義持によって開基された浄土真宗本願寺の寺院である。庭園は足利将軍家に仕えた絵師でもある作庭家・相阿弥(そうあみ)によるもので室町時代に作庭。大阪府のサイトでは江戸時代と記載されているが、お寺の方に確認すると「戦国時代の末期に神仏を祭る建物・堂宇(どうう)が一度焼失しており、伽藍が再度整ったのは江戸時代であったことと推測されますので、そのことを考慮にいれられたのではないか」とのこと。つまり庭園としては室町時代となる。
室町時代に足利将軍家に仕えた相阿弥(そうあみ)によって作庭された庭園が、大阪市内に今も残る貴重な寺院。左手の築山から枯滝石組、枯流れと繋がる。当時は伊達政宗より贈られた茶室があったが、昭和20年の大阪空襲によって焼失し、現在は茶室「相應庵(そうおうあん)」が造られている。
100坪ほどの広くない空間ながらも、石を積み上げた築山と力強い石橋により迫力ある枯山水だ。
築山には枯滝石組を造っている。
正面から撮影。造形美に優れた庭園が造られた室町時代としては、いささか平凡な枯滝石組に感じるのは私だけだろうか。後世に改修にあったと推測。
コンクリートが使われていることから、明治時代以降に改修された枯地であることは分かる。枯地には、大きさの揃えた丸石を並べ枯流れとした意匠が面白く、水分石にも舟石にもみえる石を据えている。石橋の奥には鋭い立石がみえ、近づいて撮影してみると、、、
このように青石を立て、品の良い石組となっている。小さな蓬莱山にもみえる。
枯流れは川幅を狭めて。蛇行しながら茶屋のほうへ向かう。
訪問は年末ということもあり、墓参りの人で賑わっていたが、庭園を見学している方はいなかった。なお、庭園へは墓地を経由して入門することになり、門が閉まっていることもあるようなので、事前に電話連絡するのが良いだろう。
○ | 後世の改修ではあるが、枯地のなかに枯流れを造っているところが面白い。 |
× | 枯滝石組がやや平凡に感じる。 |