一ノ倉邸 保護庭園
いちのくらてい ほごていえん
一ノ倉邸は明治後期の地元政治家・安部浩の邸宅。その後、一ノ倉氏に譲渡され、平成4年に盛岡市が取得。庭園は明治35年(1902)頃に作庭された。建物は明治40年頃から造られたものである。
昭和40年頃までは池泉庭園であったが、現在では水が涸れた涸池となっている。池泉を周遊してみると、ほとんど石がない。庭園管理者に伺ってみると、2代目、3代目と次第に庭師に払うお金がなくなり、石を賃金代わりに渡していったとのこと。
池泉には3つの島がある。そのうち一ノ島には「龍の夫婦松」と呼ばれる松があり、見上げてみると・・
龍の夫婦松は、このように「輪」を描いている。
数寄屋風の建物には大小14の和室がある。
一ノ倉邸の案内図(パンフレットより引用) [ 案内図を拡大する ]
○ | 特筆できるものがなかった。 |
× | 石もなく、池泉も涸池となり日本庭園としては見るべきところがなかった。 |