石馬寺
いしばじ
石馬寺は飛鳥時代(594)に創建したと伝わる臨済宗妙心寺派の寺院。聖徳太子が乗ってきた馬が石になって池に沈んだことから、聖徳太子がこの地に寺を建て、石馬寺と名付けられた。そのため本寺の開基は聖徳太子と伝わる。江戸初期に徳川家康によって復興。庫裏と宝物殿の間には「石馬の石庭」と呼ばれる石庭がある。
約300段の石段を登ったところにある聖徳太子が開基したと伝わる石馬寺の「石馬の石庭」がある。この石庭は明治の随筆家(エッセイスト)白洲正子の「かくれ里」でも褒めされているとのこと。
パンフレットによると「禅風の中に石馬の縁起を描いている」とのこと。これ以上の説明がないため推測になるが、石馬寺は宮城県の松島にある瑞厳寺(ずいがんじ)の雲居国師を中興祖として招いていることから、松島をイメージしつつ、各島に石馬寺らしく石を配したのではなかろうか。
各島は二石組か三石組となっている。注目したいのが左の三石組であるが、右の石がL字型のような独特の形状をもった石である。
左の石が先ほどのL字の石。中央は二石組のようにみえるが、よくみると三石組。
コンパクトながら品の良い石組。
二石組のようにみえるが、、
庫裏から眺めると三関組になっている。そして奥の島は2つまえの写真であるが、庫裏からだと一石にもみえる。このように視点場によって石組の表情が大きく変わるのが面白いところだ。
最後に額縁庭園を撮影。このときに気づいたのだが、宝物殿の壁が筋塀のような意匠になっている。筋塀とは土塀に引かれた白線で、白線の数が寺院の格式の高さを表現している。偶然かもしれないが、意図的であれば見事だ。再び300段の石段を下っていく。
○ | 3方向が囲まれており直射日光が当たりにくいこともあり、苔が良質であり、僅か15坪のコンパクトな石庭ながら質が高い。 |
× | 特に見当たらない。 |