春日大社の始まりは1300年前さかのぼる。平安京を守るために神様・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗って三笠山に来られとされる。その50年後にとなる奈良後期の796年に、三笠山の麓に春日神社が創設。昭和21年(1946)に春日大社と改め、平成10年(1998)に春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録される。貴賓館には昭和を代表する作庭家・重森三玲(しげもり みれい)の庭園が造られた。
世界遺産の春日大社。春日大社の貴賓館には、昭和の作庭家として名高い重森三玲(しげもり みれい)の庭園を2つ拝見できる。通常、貴賓館は公開されていないが、年に数回だけ奈良県ビジターズビューロー主催のツアーで見学できる。通常は10名ほどのグループツアーであるが、今回は2組4名での開催となった。まずは、重森三玲の4作目「三方正面七五三 磐境の庭(いわさかのにわ)」から紹介しよう。昭和9年に作庭されたものを復元したものだ。
本庭園の特徴は苔と白砂を斜線で区分する地割りにある。日本庭園には非対称な曲線美が主だったのに対して、直線美を用いた三玲独自の意匠といえる。
本庭園では岩組の配置にも注目したい。しめ縄(七五三縄とも書く)にちなんだ7,5,3個の各石組がどの方向からも見えるように配置されている。写真は、苔エリアの中央にあるのが5個の石組であり、この石組を中心にX字形で石組が配置される。
白砂エリアの3個の石組と、苔エリアの5個の石組。
右手前が7個の石組。廊下の奥に見えるのが、次に紹介する「稲妻形 遣水の庭」である。
次に重森三玲の6作目「稲妻形 遣水の庭」を観よう。昭和12年に作庭され、当時は遣水に水が流されていたが、現在は管理の面などから水は流れていない。(ネットの記事をみると2010年頃は白砂が敷かれていた。)Z形に蛇行させた遣水のデザインが当時としてはかなり斬新。
当時としては新素材であるコンクリートを見えるようにデザインしている。これは苔の緑とコンクリートの白の色彩の対比を狙ったものである。
遣水は一般的には蛇行させた曲線であるが、古典様式にとらわれずに直線的な稲妻形とした。なんとも斬新な発想だ。
遣水を上から眺める。資料によると稲妻形は、春日大社のご神体のひとつである武甕槌命(たけみかづちのみこと)を「武雷命」とも表すことがあり、かつ若宮に祀られている神体は水徳の神様であることから、稲妻形の遣水が造られたと考えられているようだ。
「稲妻形 遣水の庭」を眺める座敷からの1枚。
額縁庭園を撮影してみる。
最後に「稲妻形 遣水の庭」のシンボルであるZ形の遣水と苔を撮影して貴賓館をあとにする
○ | 昭和の作庭家として名高い・重森三玲の初期の頃の庭園を2つも拝見できる。ツアーの最後が庭園であり、解説後に暫く自由に庭園を見学&撮影できるのも嬉しい。 |
× | 年に10日ほどしか公開されていないため、タイミングを狙って訪問する必要がある。 |