金剛峯寺は平安時代(816)に弘法大師(空海)によって開山された高野山真言宗の総本山である。もとは、弘法大師が高野山の総称として金剛峯寺と名付けられていた。当時の建物は焼失しており、現在の建物は江戸末期に再現されたものである。蟠龍庭は弘法大師御入定1150年御遠忌大法会記念事業として、昭和59年(1984)に造園された日本最大級の石庭である。
日本最大の広さ約700坪(2,340㎡)を誇る蟠龍庭(ばんりゅうてい)。昭和59年と比較的近年に作庭された石庭であるが、作庭家の情報はなく、おそらく敢えて作庭家を公開していないと推察する。月曜日ではあるが紅葉シーズンのため、混雑を回避するために朝イチで訪問するが、混雑感はそれほどなくゆっくりと拝観できた。
蟠龍庭は勅使門からみて左に雄龍、右に雌龍が向かい合い、中央の奥殿を見守っているように石を配置している。また現地案内には「金胎不二(こんたいふに)」を表していると説明されている。金胎不二とは高野山で生み出された人生哲学であり、「金」は男性、「胎」は女性、「不二」は二つではなく一体という意味で、「男・女」を分けて考えるのでは、同時に活かせよという意味である。なお順路は写真に緑の線を引いているところのため、雄流は奥殿により死角となり見えない。
雌龍の上半身となる石組を眺める。
龍の石組は渡り廊下を潜り、阿字観道場のほうへ続いている。
右手の建物が阿字観道場。
手前が雌龍の上部、奥が雄龍の上部となる石組である。右に見える建物は奥殿であり、観月会などで特別公開され、そのときだけ雄龍の全貌を観賞できる。2024年は9月16日、9月17日に17時30分から公開されていた。
雄龍の上部となる石組を望遠レンズで撮影。
石を意欲的に立てた組み方は重森三玲の作風を感じさせるが、作庭時期には既にこの世を去っている。
主殿と別殿を繋ぐ渡り廊下に作られた石庭。
7席の石が互い違いに置かれている。
主殿の西側「上壇の間」に面したところに「四季の庭」がある。こちら蟠龍庭よりも古く、江戸時代に作庭された庭園で、高野山の四季折々の風景が眺められるとのこと。
「四季の庭」を額縁庭園で撮影。
金剛峯寺の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 奥殿を取り囲むように組まれた二対の龍は、躍動感溢れ力強い。また高野山真言宗の総本山という空間で石庭を眺めているという特別感もある。 |
× | 奥殿で通常非公開になっているため、石庭の全貌を見学できないのが残念である。 |