中江 準五郎は20世紀前半に朝鮮、満州、中国に18店舗の百貨店を経営していた中江勝次郎の四兄弟の末っ子。中江準五郎邸は昭和8年(1933)に建築され、庭園は江戸末期創業の造園業者「花文(花文造園土木株式会社)」によって造園された。その後、平成9年の「あきんど大正館」整備事業で修復整備されている。
近江商人の邸宅庭園を多く手掛けてきた造園会社「花文(花文造園土木株式会社)」。花文は江戸末期から明治前期にかけて500ヶ所以上の庭園を気づいた作庭家・勝元 鈍穴(どんけつ)を継承した造園会社である。そのため花文が手掛ける庭園は「鈍穴の庭」と呼ばれ、中江準五郎邸もそのひとつである。
庭面積の1/4程度を占める池泉は仏間を囲むように広がっている。
蔵前から池泉を石橋を眺める。
本庭園で最も美しいと感じたのが「枯流れ」である。写真が「枯流れ」の下流から撮影したもの。写真右手には井筒も配している。
枯流れには玉石が敷かれ、沢飛石を打ち、池泉と境には二段に石を並べた独特の意匠を持っている。
中流は石畳。石灯籠も違和感なくおさまっている。
石畳から枯流れを撮影すると、途中に置き灯籠を置き、さらには小さな石橋を渡し、単調にならないような工夫が随所にみられる。
上流には滝口を設け、渓谷から緩やかに流れるような意匠になっている。
池泉には噴水を設け、左手には善導寺型灯籠が置いている。善導寺型灯籠は京都市役所近くにある善導寺が元となっており、中台の側面にハート型の刻り込みや火袋に茶道具が彫られている。
座敷前には鞍馬石の沓脱石と伽藍石(がらんせき)による円形の飛石が印象的。伽藍石とは神社仏閣の柱の基礎として使われてものであり、この伽藍石を飛石として再利用している。日本庭園ではこのような再利用がよく見られる。伽藍石の奥には手水鉢がある。
手水鉢は苔付き風合いがよい。普通に歩けば1分ほどで周遊できるコンパクトな庭園ながらも、見どころが沢山の邸宅庭園だ。
○ | 玉石を敷いた枯流れには単調さはなく、邸宅に作庭された枯流れとしては特筆できる意匠である。 |
× | 特に見当たらない。 |