臨済宗永源寺派の頼久寺。創建時期は明らかになっていないが、山号(さんごう)より室町時代以前である。庭園は幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州によって安土桃山末期から江戸初期にかけて作庭されたと伝わる。昭和49年(1974)に国指定名勝を受ける。山号:仏教寺院に付ける称号。
江戸幕府の茶人としても知られる庭園デザイナー・小堀遠州の作庭といわれる頼久寺庭園。小堀遠州の原点となる庭ともいわれ、ガイドブックや庭園書籍でよく紹介される。愛宕山を借景とした蓬莱式枯山水庭園で、生け垣と3段の長方形型の刈込により庭園の内と外を仕切っている。
白砂の中央に鶴島、その左奥に亀島を配置している。次の写真で詳細を説明していきます。
鶴島と亀島の配置は写真のようになっており、見どころは天を突くような鋭い立石による鶴島。これは鶴が中州で優雅に佇む姿で中島を表現している。立石は鶴首石であり、優しい曲線を描いた刈込みは鶴の羽と見立てている。亀島は後半で解説。
鶴島を別角度から眺める。
さらに別角度から鶴島を眺める。縁側沿いを移動することにより、視点を変えて景の変化を楽しめるのが嬉しい。見てください。この角度からだと、立石がこんなに薄い石だったのですよ。正面からでは想像できないですよね。
続いて亀島を紹介。こちらの写真は焦点距離300㎜(35㎜換算)の超望遠レンズで撮影。亀島は鑑賞場から離れていて望遠レンズがないと鑑賞しずらい。この大きさでみると、亀がこちらを向いているようにみえる。撮影余談:望遠レンズで手ぶれを抑えるには、1/焦点距離のシャッター速度より短くするのがベスト。この写真は1/250秒で撮影しているが、レンズに4段分の手ぶれ補正をONにしているため、ぶれずに撮影できている。
亀島は亀の頭である「亀頭石」と甲羅となる「亀甲石」で構成される。この角度からだと1つの石に見えるが、2つの石で組まれている。
別角度から亀島を望む。この角度だと亀頭石と亀甲石が別石であることがわかるだろう。それにしても、この2石の模様はよく似ていて一体感を感じさせる。
亀島を別角度から引いて撮影してみる。鶴島の裏手にも、いくつもの石が据えられているのがわかる。
頼久寺のもうひとつの見どころが、サツキ(皐月)の大刈込だ。まるで巨大な波がうねっているようにみえ「青海波」と呼ばれている。さらに、サツキの奥にはツバキ(椿)が直線的に刈り込まれ、サツキの曲線とツバキの直線が見事な対比を生み出している。さらに砂紋は直線と曲線が繰り返されている。サツキとツバキの刈込を意識したのだろうか。
丸窓から額縁庭園。
庫裏(くり)前の石灯籠。中台、火袋、笠は、元々は別の灯籠であり、それを組み合わせて新たな灯籠を作った。このような作り方は、小堀遠州が生み出したといわれる。もうひとつ、面白いポイントは飛石にFを左右反転した形の刈込み。なんとも風流。庫裏:住職の居間
書院軒内には切石と自然石の飛石が敷かれ、その隙間には栗石で埋められている。ちなみに「遠州好み」というフレーズが使われることがあるが、具体例としてよく取り上げられるのが飛石や敷石の使い方である。晩年の遠州作庭の敷石と共通項を見いだせるので、そういった視点で庭園を眺めてみるとより面白くなる。
約200坪のコンパクトな庭園だが、鶴亀島、大刈込、枯山水、敷石と見どころ豊富。庭園好きであれば、外せない名園のひとつである。
○ | 小堀遠州の原点となる庭園。その庭園は書院や庫裏の縁側が入り組んでいることにより、様々な視点から眺められることにより景の変化を楽しめる。 |
× | 亀島は望遠レンズがないと分かりにくい。双眼鏡などがあると良いだろう。 |