建仁寺塔頭寺院の霊源院は室町時代(1394)にて「霊泉院」として創建。明治時代に「妙喜庵跡地」にを移転して「霊源院」となり、さらに2年後に移転して現在地となる。2020年5月末には、霊源院で出家した今川義元の生誕500年を記念した新庭園「鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)」が中根庭園研究所によって造られた。
2020年5月23日に完成した新庭園「鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)」。かつては、アジサイの一種である「甘茶」がメインの「感露庭」であったが、足立美術館の庭園を手掛けた中根金作が創設した中根庭園研究所によって、美しい枯山水に生まれ変わった。公開直後の週末と言うこともあり、多くの見学者で賑わっており、このような写真を撮影するのに時間を要した。
庭園は左側がインド、中央(本写真)が中国、右が日本と仏教伝来の流れを表現している。また仏教の開祖であるブッダの教えが世界に広がるという意味から庭園を「鶴鳴九皐」が名付けられている。
白砂は東シナ海に見立てられ、不老不死の妙薬があるとされる蓬莱山へ向かう舟を表現しているのだろう。白砂に浮かぶ舟形の石を舟石と呼ぶ。写真では白い石が舟石となり、枯山水庭園では、時折みられるものである。
庭園左側には、かつての「甘露の庭」を偲ばせるアジサイ「甘茶」を植えられており、苔の野筋に座禅石が置かれている。こちらでは、座禅石に座ってみることが許可されており、このような座禅の絵が撮影できる。
座禅の石。そしてこの領域がインドを表現しているとのことだが、おそらく座禅石の右手にある山形の石が、古代インドの宇宙観である須弥山(しゅみせん)に見立てているのだろうか。
庭園右手は、日本を表現しているとのことだが、実際に日本を表現しているのは、さらに右手となり、、、
こちらになる。細長い枯山水であり、鶴亀庭園となっている。
庭園の左側に亀石組がある。右にある石が亀の頭となる亀頭石であり、中央の山形の石が亀甲石、左側が亀尾石となる。
庭園の右側に鶴石組がある。右側の屏風のような石が鶴の羽をイメージした羽石となっている。本庭園で最も美しいと感じた石組である。
鶴石組から奥を眺める。
令和に完成した本格的な日本庭園としては、おそらく霊源院が初となるだろう。作庭直後ではあるが、歴史の風合いを感じさせてくれるのは、さすがは中根金作を祖父に持つ作庭家の中根行宏氏、中根直紀氏による技なのだろう。
○ | 蓬莱山に向かう宝船の様子が山水画のように見事に再現されており、また日本をイメージした庭園の鶴石組の意匠が素晴らしい。 |
× | 蓬莱山の石陰に達磨を置いているが、ない方が私好みである。 |