龍島院庭園
りょうとういんていえん
龍島院は室町時代に新潟県村上市にある耕雲寺の和尚によって開山した曹洞宗の寺院である。江戸初期に焼失し、江戸末期に第十五世東方惠日によって中興し、その時代に庭園が作庭されたと伝わる。また龍島院庭園は昭和62年(1987)に河北新報の「宮城新観光名所百選」に登録された。
村田町の観光案内サイトにも紹介されている龍島院庭園は、詩仙堂(京都)を模したといわれている。取材時は建物の立て替え中で取り壊されていたが、以前は観光案内サイトにも紹介されているように座敷から庭園が眺められたようである。
ツツジとサツキの刈り込みが主体となっており、公式サイトにも彩り豊かな5月頃の写真が掲載されていた。また龍島院らしく、山頂には龍の銅像も。
サツキ・ツツジの刈り込みのある築山には苑路を設けてあり散策できるようになっていた。書院のあった場所からは刈り込みで死角になっていたが、滝石組が造られていた。
滝石組の頂部。龍島院庭園の解説では龍門瀑となっていたが、龍門瀑に必須となる鯉魚石が見つからない。もしかして水落石の左手にあるやや傾斜した立石が鯉魚石なのだろうか。なお、滝壺に置かれた2つの石は仏像が彫られた石である。
滝を下って行くと、築山3合目付近にも小滝。
池泉は龍門瀑にちなんで「臥龍池」と名付けられている。
築山の上部は巨石の石組が多く見られる。解説には「中央に三尊石、右奥に須弥山の各石組を配置し幽邃を感じさせる」と説明されている。幽邃(ゆうすい):けしきなどが奥深くて物静かなこと。
解説に該当する三尊石はこちらであろうか。この三尊石の周辺にある石組が須弥山と推測した。
○ | 書院が復活すれば書院と池泉が一体化したような庭園を眺められ、特に5月のサツキ・ツツジが彩りを添えるシーズンは満足度が高そう。 |
× | 刈り込みにより書院のあった視点場からは、滝石組がほぼ見えなくなっている。 |