三光寺
さんこうじ
草創は飛鳥時代(595)といわれ、鎌倉後期以降に現地に移建されたと伝わる。庭園は安土桃山後期から江戸初期といわれている。昭和54年(1979)に県指定名勝の登録を受ける。
かつては水が流れていた三光寺庭園。訪問時は落ち葉で埋め尽くされ、石組の本来の美しさが半減していたが、解説を元に注意深く観賞してみると、興味深い庭園であることが分かってくる。
書院前からの眺め。案内板によると鶴出島と亀出島を配しているとのこと。
図解すると、赤線と青線のエリアが鶴出島と亀出島となるが、どちらが鶴出島であるかは明記されていない。
中央奥にみえる石組は高さ1.5mの滝石組であり、かつては水が流れていた。また流水は二段式になっており、1つは滝石組から、もうひとつは池泉東部(右手)から流される二段式の流れになっていた。解説によると、「二段式の浅目の流れは、庭園史上特色ある造形」とのこと。解説と石組から推測で図解してみると、赤枠が二段になった池泉で、水の流れを青線で記してみた。
「山梨の文化財ガイド」によると、滝石組の右下には「傾斜する板状の二岩が組まれるなど特殊な手法を示している。水はその板石の下をくぐって見え隠れしつつ落下し、深味ある滝への造景になるよう配慮されている。」と紹介されている。板状の二岩を赤色のマーカーで記したが、かつての流水の姿をみてみたくなった。
出島の山頂に巨石を据えてあり、富士山を模した名石とのこと。
庭園北部。かつては右奥の高台から水を落とし、池泉に流されていたとのこと。かつては池泉庭園であり、現在は水が涸れた枯山水となった。
庭園西部からの眺め。枯れ葉によってかつての美しさが見られないが、護岸石組には単調さはなく、造形美のある庭園であったことがうかがえる。
○ | 二段式の浅目の流れ、そしてその池泉と出島を構成する護岸石組が美しい。 |
× | 落ち葉や、伸びきった植栽により本来の美しさを感じ取るのが難しい。 |