青龍苑
せいりゅうえん
安土桃山から江戸時代にかけての武将であり歌人であった木下 勝俊の陰棲の地であった。この地にあった料亭の京都坂口「霊鷲山荘」が、名庭園を中心にした和風モールとして平成12年(2000年)に「青龍苑」として開業。「よーじや」「西利」「イノダコーヒー」など8店舗揃う。庭園は植木職人7代目・小川治兵衛(通称、植治)によるもの。
産寧坂(さんねいざか。三年坂とも呼ぶ)沿いにある青龍苑は多くの観光客で賑わうところであるが、コロナ禍ということもあり、店舗も大半がクローズしており、2,3人しか人がいない。敷地内に3つの茶室があり、もっとも山手にあるのが茶室「三玄」。
中島には切石による石橋を架けている。対岸には茶室「長嘯庵(ちょうしあん)」があり草庵形式の茶室である。草庵形式の茶室とは質素な茶室であり、草葺き(くさぶき)の屋根や「にじり口」が特徴で、千利休が完成させた茶室でもある。また、茶室というとこの形式が一般的である。
護岸石組の特徴は少ない。
中島の反対側は沢飛石が渡されている。左側にある茶室は「清涼」と呼ばれ、茶室「長嘯庵(ちょうしあん)」同様に草庵形式である。
中島には青石の巨石を織り交ぜることで力強さをだしている。
茶室「長嘯庵(ちょうしあん)」へ続く石段であるが、この先へは立ち入りできない。
イノダコーヒーへ向かう通路にも和の雰囲気を感じさせてくれる。
○ | 山側にある茶室「三玄」、中腹の茶室「長嘯庵」、池泉そばにある茶室「清涼」と3つの茶室の構成が良い。 |
× | 日本庭園としてはやや見応えに欠け、小川治兵衛らしさを感じとれなかった。 |