標高1,050mにある積雲時は室町時代(1348)に業海本浄(ごうかい ほんじょう)によって開山。また山号である天目山は、そばがきから、うどんに学び切って食べたのは、杭州で蕎麦打ちを学んだ業海始まりであると伝わり「蕎麦切り発祥の地」とされる。開山:初代住職
勝沼ICから車で約20分。山深い場所にある標高1,050mの石庭へ到着。まずは無料休憩所として開放されている石庭会館から山の斜面沿いに巨石群を眺める。
石庭には散策路が設けられ、近づいて眺めてみれば迫りくる石に圧巻される。室町時代に、このような大量の巨石を組むことは考えにくいので、もともとあった巨石をベースに造られた石庭と考えるべきだろう。
案内板によると、赤く囲んだ石が鯉魚石(りぎょせき)とのこと。鯉魚石とは鯉が滝を登るようすを表現した石である。もちろん鯉が滝を登るようなことはできないが、ひたすら修行を繰り返すという禅の理念を石組で表したのを「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ぶ。つまり、この巨大な石庭は枯滝石組となる。なお、鯉魚石であることを示す標識もあるが倒れていたので、非常に分かりにくい。なお、鯉魚石については、京都の天龍寺 曹源池庭園が特に有名であり参考にして欲しい。
さらに案内板には「鯉魚石からほど近い南北方には須弥山(しゅみせん)があり山を囲む列石が弧状を描いて九山八海(くせんはっかい)に見立てられる」とある。この解説より青の三角マークが須弥山、青のマーカが九山八海と推測する。須弥山、九山八海:古代インドの宇宙観に世界の中心にそびえ立つという巨大な須弥山があり、その須弥山を囲む九つの山と八つの海を表現した石。要は仏が住する清らかな世界・浄土の意味を強調している。須弥山と九山八海は三重県の北畠氏館跡庭園の写真を確認いただくと理解が深まると思います。
鯉魚石を別角度から望遠レンズで撮影。確かに、この石だけ周辺の石組と違い立石として立てられている。
石庭会館の近くには3組の巨石。青が鶴石、赤が亀石といずれも抽象的な表現で案内板がないと気づかない。緑が百字石と呼ばれる石とのこと。
鶴石を望遠レンズで撮影。右上に伸びたような石が鶴首石だろうか。すると手前の丸みを帯びた石が鶴羽石と想像した。
枯滝石組の上部には三尊石がみつかる。
忿怒岩(ふんぬいわ)。大いに怒っているという岩という意味のようだが、絶妙なバランスで位置を保っていることに驚く。
石の麓にはお地蔵さんが。岩の怒りを抑えているのだろうか。
ひときわ大きな座禅石。僧侶をこの座禅石で修行させていたのだろうか。
散策路を登っていくと東屋にたどり着き、富士山が顔を覗かせる。日本最大級とおもわるスケールの枯滝石組は興味深く、紅葉時期にも再訪したいと思った。
栖雲寺庭園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 想像をはるかに超えるスケールの枯滝石組。 |
× | 鯉魚石、須弥山、三尊石が分かりにくく、石の麓への看板設置や分かりやすい案内図が欲しい。 |