祥雲寺庭園
しょううんじていえん
祥雲寺は江戸初期(1628)に創建された臨済宗大徳寺派の寺院である。庭園は江戸初期に作庭されたとされ、京都・大徳寺の住職も務めた天祐紹果(てんゆう しょうこう)によるもの。戦火で大半が焼失したが、復元されてかつての趣を残している。また大阪府の指定名勝を受けている。
世界遺産「仁徳陵」から車で7-8分のところに、江戸時代初期に作庭された枯山水の面影が残る庭園がある。京都・大徳寺の住職が作庭していることから大徳寺本坊庭園と似ていると記載されている。大徳寺本坊庭園は撮影禁止であるため、京都春秋の記事で写真を比較してみると、手前が白砂敷きで、左に枯滝石組、そして塀に沿って石を配置しているという点では類似している。
祥雲寺庭園の左奥にある枯滝石組に近づく。分かりにくいため図解してみると、、、
このようになっている。左奥には富士山石と呼ばれる山形の石を配し、枯滝石組の高低差は低く渓流のようになっている。
角度を変えて撮影すると、分かりやすいだろう。奥にある立石は滝に見立てた滝石だろうか。大海を表現した白砂と渓流の境界にある平石が海に注がれる様子を見事に再現している。
庭園中央付近を撮影。
富士山石以外に、鶏冠石、蚪虫石、霊、芝石、臥牛石などあると解説されているが、どの石に該当するか分からなかった。
庭園西部を撮影。
方丈裏に回ると「亀の庭」と呼ばれる庭園がある。ちょうど、赤枠で囲った中島が亀島になり、左先の石が亀頭石だろう。
別角度から撮影する。右端の横石が先ほど亀頭石と推測した石である。
再び方丈前の枯山水へ。背後の土塀は「屏風塀」と呼ばれ、こちらではレンガと土をミルフィールにように交互に重ねた美しいものである。
○ | 都心部に江戸時代初期の面影を残す枯山水を気軽に見学できる。また枯滝石組から続く渓流の表現が美しい。 |
× | 特に見当たらない。 |