佛法紹隆寺は平安時代(806年)に開基といわれ、真言宗の「真言宗の学問の道場」として寺が建てられたとされている。庭園は安土桃山、江戸、明治・大正、昭和に作庭された4つの庭園に分かれる。諏訪市指定名勝を受けている。
安土桃山、江戸、明治・大正、昭和時代の4庭園が楽しめる佛法紹隆寺。こちらは、庫裡(くり)裏にある本寺で最も古い安土桃山時代のもの。庫裏:寺の住空間のひとつ。近年では事務に使われることが多い。
安土桃山時代の庭園左手(北側)には、江戸時代とされる池泉庭園に繋がる。
両庭園を俯瞰する。説明がなければひとつづきの同一時代に造られた庭園にしかみえない。石橋の手前が安土桃山時代、その奥が江戸時代の庭園。江戸時代エリアにあるA領域には枯滝石組、安土桃山エリアのB領域には滝石組。C領域には三尊石が確認できる。
A領域をクローズアップ。水落石(みずおちいし)に巨石が用いられ迫力ある。こちらは枯滝石組と記されているが、現在では湧き水だろうか、僅かに水が流れている。水落石:滝水が伝う石
本庭園の最大の見所のB領域をクローズアップ。二段落ちの滝石組は巨石により立体的に組まれ、2段目の滝石組の上段には石橋(写真に▲マーク)が架けられている。これは玉澗(ぎょくかん)流庭園と呼ばれる。玉澗流とは、安土桃山時代の作庭であり、宋の有名な水画家・玉澗の山水画がモチーフ。背後に大きな築山を造り、その間から滝を落とし滝の上に石橋を架けるのが特徴である。
安土桃山エリアの右手には「蓬莱三尊石」がみえる。分かりやすいよう写真に▲マークを3ヶ所つけている。
写真中央には美しい形の沢飛石。その手前が江戸時代であり、奥が安土桃山時代の庭園とされる。
安土桃山時代の庭園を眺める。手前の苔領域は陸続きの出島であり、出島には石橋が架けられている。
先ほどの写真と反対側から同じ庭園を望む。右手奥にみえるのが、3つ前の写真で紹介した「蓬莱三尊石」である。
宝物殿とその手前には明治・大正の庭園が控える。案内板にも紹介されていないので、見落としがちな庭園である。
明治・大正の庭園にある滝石組をクローズアップ。斜めに据えられた石は鯉魚石(りぎょせき)にも見えなくもないが、どうだろうか。鯉魚石:中国の鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」にちなんだ鯉を石に見立てたもの。
普賢堂裏には、昭和に作庭された庭園がある。
昭和に作庭された庭園の滝石組をクローズアップ。江戸時代や安土桃山時代の滝石組と比べると強さが感じされないのが分かるだろう。
昭和庭園の見所は沢渡石にもみえる岩島であろう。どれも巨石で迫力があり、庭園の景を中心である巨石に向かうように配置されている。話は変わるが、境内には樹齢300年イチョウがあり毎年秋にライトアップされる。黄金色に光り輝くイチョウを見上げてみたいものだ。
○ | 安土桃山、江戸、明治・大正、昭和の4つの時代の庭園がまとめてみられる大変貴重。また安土桃山時代につくられた玉澗(ぎょくかん)流庭園は最大の見所である。 |
× | 特に見あたらない。 |