油山寺
ゆさんじ
油山寺は奈良時代の僧侶・行基(ぎょうき)によって開山。奈良時代に孝謙天皇(こうけん)が目病のときに、「るりの滝」の水で眼を洗浄により回復したことから、目の霊山と呼ばれるようになった。宝生殿内拝観では、平成24年(2012)にマンダラ庭園と、昭和後期に作庭された枯山水「竹林の七賢人」を見学できる。
目や足の御利益巡りとして知られる油山寺には、2つの庭園があります。ひとつめは宝生殿が建築された前年となる平成24年に作庭されたマンダラ庭園。
曼荼羅庭園(マンダラ庭園)は、薬師如来の浄土の世界を石像で表している。
最上段には薬師如来、左右には月光菩薩、日光菩薩を控えた三尊仏。ちなみに薬師如来の土台横には「薬師稚児曼荼羅庭園 平成9年6月」と記されている。おそらく平成9年には「薬師稚児曼荼羅庭園」が完成しており、平成25年の宝生殿建築の際に形を変えたのだろう。
続いて、県文化財である書院。江戸初期(1699)に遠州の横須賀城内に建築された御殿建築城書院で、江戸後期(1859)に油山寺に寄進された。昭和54年(1979)に復元修理が行われている。
本書院前には「竹林の七賢人」と呼ばれる枯山水を造っている。ご住職に伺うと、こちらは先々代の住職の時代となる昭和後期に作庭されたものとのこと。
7つの立石を七賢人に見立てている。
傾斜をつけた立石もみられる。
「竹林の七賢人」を深掘りしてみると、中国にルーツがあることが分かった。3世紀の魏(ぎ)の時代に、俗世から離れた竹林で乱世を良くしようと賢者の談話を描いた絵がある。ポストカード「竹林七賢人」を見比べてみると類似していることがよく分かる。
最後に中庭を見学して、油山寺をあとにする。
油山寺の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 賢者の談話を描いた「竹林の七賢人」に見立てた枯山水をみられる唯一の場所である。 |
× | マンダラ庭園には解説があるが、「竹林の七賢人」には解説がないため予備知識がないと石組の意図が伝わらず勿体ないと感じた。 |