仙巌園は江戸初期(1658)に薩摩藩主・島津家の別邸で、19代光久によって造園された。別名として「磯庭園」とも呼ばれる。昭和33年(1958)に国指定名勝を受ける。
鹿児島県で桜島と並ぶ観光スポットである仙巌園は、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」にも登録されている。桜島を借景としているため、逆光とならない午後の観光がお薦めである。
まずは明治17年に改築した17室もの部屋がある御殿へ。貴賓と面会する「謁見の間」からは、池泉庭園越しに桜島を眺められる絶景。
御殿には中庭があり、枯山水と池泉庭園が融合したような意匠。また池の中には八角形のくぼみがあり、中国文化「風水」の影響を感じとれる。
御居間からの眺め。右手の野筋には亀石がある。野筋:低い築山
かつては「亀石」という看板があったが現在では撤去されており、庭園に精通した人でもないかぎり、その存在に気づかないだろう。こちらからみると左側が亀頭石となっているが、反対側から眺めると亀の姿にはまったくみえない。パンフレットにも記載されていないので、最後の案内図に亀石の場所を赤字で追記しておいた。
江戸末期(1857)に、鶴が羽を伸ばした方の鶴灯籠を使ってガス灯の実験を行い、日本初のガス灯といわれる。また先ほどの亀石に対する鶴石組ともいえよう。また、火袋以外は、自然石を集めて石灯籠の形にした灯籠を「山灯籠」と呼ぶ。
鶴灯籠を別角度から撮影。丸みと帯、かつなだらかな稜線をもつ生垣の美しさが際だつ。手前の巨石による石組は、本庭園で最も力強さを感じるところだ。
池泉庭園から御殿を望む。手間にある石灯篭はスタイリッシュな造形だ。
御殿から曲水の宴に向かう途中にある滝石組。
島津家第21代当主・吉貴の時代(1700年頃)に作庭された「曲水の庭」。曲水の庭とは、平安時代に生まれた「曲水の宴」を行うために作られた庭で、流れに浮かべた杯が自分の目の前までに流れてくるまでに詩歌を作って詠み、盃の酒を飲んで次へ流すという遊ぶ庭のことである。昭和34年(1959)に発掘され、江戸時代の姿を留める日本で唯一にして最大の「曲水の庭」となる。
「曲水の庭」に近づいて撮影。曲水の宴については、浜松市の万葉の森公園 曲水庭園の記事を参考にして欲しい。
仙巌園の西側にも雄大な借景となる山並みがある。庭園と山がこれほど隣接している大名庭園は、他には香川県高松市の栗林公園ぐらいだろうか。
最後に庭園越しに桜島を眺める。写真には観光客は写っていないが、平日にもかかわらず多くの観光客で賑わっていた。
仙巌園の案内図。亀石と滝石組の場所も追記しています。
○ | 江戸時代に作庭された唯一残る「曲水の庭」が見られる。また、桜島を借景とした大名庭園は、大名庭園のなかでは随一の借景と感じた。 |
× | 古庭園と観察すると、やや陳腐で見応えに欠ける。また入園料がやや高額。 |