中津万象園は江戸前期(1688)に丸亀二代目藩主・高豊によって築庭が開始。約100年の歳月を経て、五代目藩主・高中のときに完成。昭和45年(1970)に民間企業でありる富士建設が所有し、中根金作監修のもと富士建設にて修復され昭和57年(1982)に中津万象園として開園。Wikipediaなどいくつかの記事によると日本三大海浜庭園のひとつに数えられると記載されているが、他2ヶ所は不明である。
大名庭園を民間企業が所有する唯一の庭園と思われる中津万象園。所有する富士建設社長の記事を読むと、1500本余りの松を手入れなど庭園維持には年間5000万円の費用がかかるが入園料や補助金だけではまかないきれないとのこと。確かに園内は松で覆われており、これほど広大な庭園で、松が密集した庭園は他にはないだろう。
万象園のシンボルでもある朱色の邀月橋(ようげつばし)から、彼岸の懸崖松(けいがんまつ)付近にある滝は鶺鴒渓(せきれいけい)と呼ばれる。邀月橋から焦点距離300mmの望遠レンズで撮影。
万象園の池泉は八景池と名付けられ、近江八景になぞらえて8つの中島がある。手前の中島は雁(堅田の落雁)と名付けられ、全ての中島が橋や沢飛石で繋がっている。
敷石から沢飛石の睡蓮橋へと導かれる。
中島の雨(唐崎の夜雨)に架かる臥雲橋。
中島の月(石山の秋月)に架かる観月橋。
茶室(母屋)の隣にある直径15mの大傘松は、樹齢600年といわれ日本の名松100選である。
本庭園には古庭園の要素は少ないが、そのなかで見つけたのが陰陽石である。陰陽石とは子孫繁栄を願った石組である、写真は男性の陰部に見立てた陽石である。
こちらは女性の陰部に見立てた陰石となる。栗林公園にある陰陽石は巨石によるものだが、殆どの人が気づかない。記事にその写真を掲載しているので、ぜひチェックして欲しい。
観潮楼(かんちょうろう)は江戸時代に造られた茶室で、当時は潮の満ち引きの見える茶室であった。そのため茶室にしては珍しく高床式になっている。
平成5年(1993)から企業や個人による鳥居の奉納が始まり、令和元年(2019)には稲荷社に続く100本の鳥居が並ぶ廻廊が完成した。稲荷社は伏見稲荷大社から勧請(かんじょう)されたものであり、伏見稲荷大社の千本鳥居に倣ったものだ。
中島(夕映:瀬田の夕照)に架けられた雁行橋。
陶器館近くの石垣の石積みが見事だ。実に美しく積んでいる。
中津万象園の案内図 [ 案内図を拡大する ]
○ | 近江八景に見立てた中島の回遊は景観の変化を楽しめる。 |
× | 広大な庭園であるが故に、池泉外側は間延びした空間があり単調さを感じてしまう。 |