室町時代の高松城主・生駒氏の家臣、佐藤志摩介(さとうしまのすけ)が、隠居時に仏教信仰の為の作庭したのが始まりと言われる。その後、高松藩主・松平頼重により造築され江戸中期(1745年)に完成。明治8年(1875)に栗林公園として公開され、昭和28年(1953)に特別名勝の指定を受ける。
四国最大の庭園といえば栗林公園。大名庭園のなかでは三名園よりも美しく、滋賀県の玄宮園と並ぶ造形美をもつ名園ではなかろうか。本庭園は日の出と共に開園しており、夏季であれば5時30分から静寂のなかで散策できる。ただし、茶室「掬月亭」などは早朝は閉まっているので撮影などは時間タイミングのご注意を。
庭園は広大であり北庭と南庭に分かれる。見どころが多いのが南庭であり、ハイライトともいえるスポットが南庭の飛来峰(ひらいほう)からの眺め。眼下に木橋の偃月橋(えんげつきょう) 。偃月橋はひとの往来が多いため、早い時間帯に入園して飛来峰に一番に向かって撮影したいところである。
栗林公園の大きな魅力は和船だろう。池泉舟遊式庭園は数あれど、現代の時代に舟遊できるのは栗林公園ぐらいだろう。それも15分おきに運行しており、たっぷり30分の周遊で620円とリーズナブル。ネットでの事前予約もできます。今回は時間の関係で乗船できませんでしたが、次回は楽しみたいと思います。
栗林公園で最も大きな石組でもある飛猿巌(ひえんがん)から眺める中島。重森三玲の文献によれば、本園で最初に作庭されたのが飛猿巌とのこと。左手の天女峰(てんにょとう)は、石組が山頂に向かって伸びるような意匠であり、右手の中島「楓嶼(ふうしょ)」と合わせると渓谷のような景を魅せてくれる。
涵翠池(かんすいち)には、瑶島(ようとう)と呼ばれる中島があり、すべての石組が結晶片岩、花崗岩、片麻岩などの怪岩で構成される蓬莱仙島である。(出典「見たい、知りたい! 日本庭園」)蓬莱仙島:不老不死の仙人が住むとされる島
栗林公園南西部には、小普陀(こふだ)という築山には室町時代を感じさせる石組がみられる。飛猿巌と同じく栗林公園で最も古いものであり、中国の観音霊場である普陀山に摸したものである。
続いて北湖を見下ろす芙蓉峰(ふようほう)からの眺め。借景となる紫雲山により雄大な光景であり、池泉は緩やかな曲線に包まれている。
北湖の南側は舟遊で楽しめ、かつては大名が舟遊びをしていたのだろうか。なお、和舟は南湖のみで北湖はルートにはいっていない。
続いて北庭へ。こちらは見どころが多くないため、南庭よりも静かである。江戸時代に鴨猟に使われていた郡鴨池に架かる永代橋の両側には陰陽石がある。陰陽石とは子孫繁栄を祈念したもので、左の陽石が男性、右の陰石が女性を表している。
陽石を別角度から望遠撮影。
旧日暮亭には、蹲踞(おりつくばい)がある。蹲居とは隣接する茶室へ向かう際など、身を清めるために造られていることが多い。このような蹲踞が小川にあるのは珍しく「降り蹲居」と呼ばれる。そして蹲居は4つの石で構成されていることが多い。手水鉢は身を清めるための水を確保するための器、手燭石は夜の茶会で使う手燭(てしょく)という明かりを置く石、湯桶石は茶室で使う湯桶を置く石、そして両手が空いた状態で前石に立ち手を清める。この4石をまとめて蹲踞と呼ぶ。
紫雲山の赤壁の石壁に、平成9年に復活した人工滝である桶樋の滝(おけどいのたき)。
掬月亭から枯山水越しに天女峰(てんにょとう)と楓嶼(ふうしょ)の2つの中島を眺める。ゆっくり巡れば、あっというまに1時間は経過してしまうスケールの栗林公園。和舟や茶屋で抹茶などを楽しめば半日過ごせるような庭園だ。
栗林公園の広大さが分かる案内図。 [ 案内図を拡大する ]
○ | 広大な大名庭園は単調になりがちだが、栗林公園の南庭は歩を進めるほどに景観が変わっていく「1歩1景」と紹介されるだけのことはある。 |
× | 北庭は南庭と比較すると若干間延びした空間。 |