長保寺は天台宗で、一条天皇の勅願(ちょくがん)により平安中期(1000)に創建。本堂、塔、大門と三つ揃っての国宝の寺は法隆寺と長保寺のみであり、大名墓所としては全国最大の規模である。平成11年(1999)には重森千靑氏によって枯山水が作庭される。勅願:天皇の願い
受付で拝観料を支払い、門を括らず右手(東)に進み納経所へ向かうと小さな枯山水がある。紀州徳川家初代藩主の菩提寺(ぼだいじ)であることから、江戸時代風にまとめた庭として設計されている。また、延段を挟んで左が七石、右が五石と三石による七五三石組になっている。奇数は永続性を示す縁起の良い数字とされ、室町時代以降このような手法がよく使われおり、京都の龍安寺 石庭がある。
モダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲のお孫さんである重森千靑氏(しげもりちさを)によって作庭。「寂光庭」と名付けられている。
七五三石組の七石がこちらである。左から1、2、3、1という単位で石を組んでいる。
「寂光庭」の主石でもある三尊石は、3つの石が横一列に並べられている。
延段を挟んで山畔側には奥が五石、手前が三石で組まれ全体で七五三石組を構成している。作庭当時は山麓にある巨石群により迫力ある枯山水であったが、訪問時は笹が伸び見えなくなっている。当時の写真は長保寺公式サイトの工事様子をご覧下さい。
鍵形の水路が造られ、薄く上品な石橋が架けられている。
五石は三尊石と二石で組まれ、こちらの三尊石は先ほどと異なり上からみると「品」の字になるように角度を設けて組まれている。このように時代によって三尊石も並べ方も異なることを表現している。
二石のうち左側にある天端がギザギザの自然石が使われている。住職の説明によると千靑氏の作風が現れているとのこと。
枯山水は案内図に記されていないため加筆。
○ | 組み方の異なる二種類の三尊石と、重森千靑氏の作風を感じられる。 |
× | 山畔の笹が伸び、巨石群が隠れている。 |